ライプツィヒとバッハ巡礼の旅 2026

  • 2026年6月25日
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バッハ・フェスト2026

今回は、各界から投票集計をした、バッハのカンタータベスト50をいくつかのグループが演奏していくという趣向である。演奏団体は以下の通り。
・Chor und Orchester der J. S. Bach-Stiftung, Leitung
・Amsterdam Baroque Orchestra & Choir
・Vox Luminis
・Collegium Vocale Gent
・Gaechinger Cantorey
・The Constellation Choir & Orchestra
私なりのベスト50はあるにはあるが、私の好きな曲例えば第11番、84番、115番が、どのへんに入っているのか?楽しみだ。また80番140番などは、当然上位に食い込むのに違いない。曲目は当日会場で、プログラムを見るまで(3ユーロする)まで分からないのだ。

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過去と現代が息づく街ライプツィヒ

過去と現代が息づく街ライプツィヒ。現代建築や現代アート、最新のテクノロジーを堪能できる街。世界最大のドーム型の動物園やフットボールグラウンドも有名。そんな街ライプツィヒであるが、今回私がこの街を訪れる理由はただ一つ、バッハの音楽である。そして強いて付け加えるならば、ライプツィヒの日常、古い町並み、食事、そしてビールを味わうことを挙げることができるだろう。新しいライプツィヒには、触れることはおそらく無いだろう。2026年バッハ・フェスト・ライプツィヒ。それこそが私の旅の目的である。一日に2つ計12回のカンタータコンサート、器楽コンサートが一つとミサ曲ロ短調、これらがそのプログラムの全てである。時間の余裕はたっぷり取ってあるので、街の散策を十二分に楽しむつもりだ。宿泊先は、バッハが通った「ツィンマーマン・カフェ」がその昔あった場所にある。

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6月12日 金曜日

あいにくの小雨が降る中、昼の部は、Der J. S. Bach-Stiftungの演奏。
どれもトランペットが活躍する曲ばかりであるが、残念ながら穴あきトランペットであった。最後のコラールでは、フェルマータでオルガンとチェンバロが交互に即興パッセージを入れるという工夫をしていた。

コープマンAmsterdam Baroque Orchestra & Choirの夜の部も、トランペットが活躍する曲を集めたものだった。シャインとシュッツのモテットを間に挟むプログラム。一本から三本のトランペットが活躍するカンタータが多かった。今日の8曲だけでも、もっと上位にあってもおかしくないカンタータがあった。31番や131番がそれである。特に131番はトラヴェルソの活躍するテノールのアリアが好きだ。バッハ恐るべし。

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6月13日 土曜日

昼の部は、ボーカルアンサンブルVox Luminisで、ニコライ教会。シャイン、シュッツのモテットを導入部として、バッハのカンタータに繋げるという斬新な試みが行われる。ちょうどバッハより100年ほど前の作曲家である彼らの作品にこそ、このグループの真価が出ているのではないかと思った。通奏低音のみで歌われるこれらの曲では、合唱が円を描くように立っている。つまり、手前のグループは、観客に向かって後ろ向きなのである。バッハのカンタータはやはりトランペットの使われる曲が多かった。

せっかくドイツに来たというのに梅雨のような小雨が続いていたが、演奏会が終わって外へ出ると晴れていて気温も上がっていた。ちょうど教会の鐘が3時を打っていた。

夜の部は、聖トマス教会で、Collegium Vocale Gent。
今夜のプログラムは、トランペットもティンパニーもない曲目であった。昼の部のVox Luminisが余りにも素晴らしかったので、若干見劣りが感じられたのは私だけだろうか?この演奏団体は、アルトがカウンターテノールである。そこに原因があると、私は考えてしまった。

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6月14日 日曜日 ハレ見物

今日は、カンタータが夕方からなので、Sバーンでハレへ行った。Sバーンの乗り心地は良い。自転車で乗車もできるようだ。東京や福岡では考えられないことだ。天気は曇りだが時々日もさす。まずまずである。ドイツの検札は「抜き打ち」のようだ。無賃乗車も可能だが、やる人はいないのだろう。

年配の方に道を尋ねると、ドイツ語で返ってくる。私はドイツ語は齧ったことがあるが、難しくて諦めた経験がある。若い人は大概、英語が通じるので問題はない。親切なおじさんに案内されて、何とか道を教えてもらい、Marktkirche Unser Lieben Frauenへ向かう。途中工事中が多く、少し迷ったが、何とかついた。しかし教会は閉館時間であった。しかもあいにくの小雨が降ってきた。しばしトラムの停留所で雨宿りだ。ここはフリーデマン・バッハがオルガニストをしていた教会である。しばらくするとドアが開いた。荘厳な教会である。フリーデマン・バッハが弾いていたオルガンが残っているが音は出せないようだ。新しいオルガンが反対側の壁にある。

次の目的地はヘンデル・ハウス。自動ロックのドアを入ってしまった!鍵が掛かって出れなくなった。そこにたまたま居た人に、ガラス越しにGoogle翻訳を見せて開けてもらった。しかし焦った。

次はフリーデマンバッハ・ハウス。
ヘンデル・ハウスと違って見るものが何もなかった。外へ出たらゲリラ豪雨に遭遇。散々である。こんなにも変わりやすい天気は見たことない。トラムでハレ駅に向かう。

ライプツィヒに戻って、そのあとはベトナム・レストラン「ハノイ(Hà Nội)」で、ビーフ・フォーを食べた。天神の「サイゴン」でもよく食べるやつだ。ドイツで初めて食べるまともな昼食だった。旧東ドイツ圏は、1980年代にベトナムから移民を多く受け入れた。ドイツ統一後、彼らの多くが市街地にレストランを開いたため、ライプツキヒにもベトナム・レストランが多く見られる。あとはホステルに戻ってスマホを充電して、4時からのカンタータに備える。今日は、まずまずの小旅行になった。今夜は演奏会のあと10:00からワールドカップ、オランダ戦をスポーツバーで見る予定だ。

フリーデマン・バッハが演奏したオルガン。

ベトナム・レストラン「ハノイ(Hà Nội)」。

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6月14日 日曜日

さて、夕方の部である。Chor und Orchester der J. S. Bach-Stiftungの演奏で、カンタータ第143番に始まり、オルガンによるコラール前奏曲と、ソプラノによるコラールのカントスフィルムス(無伴奏)の演奏、その他が間に挟まれつつ、第54番(アルトのソロカンタータ)、第71番と続いたあと、お馴染みの第182番が演奏された。最後は、これも有名な第69番で締めくくられた。第54番のアルトは音域が低い曲なので、女性アルトにはキツそうだった。同じアルトの第182番のアリア「Leget euch」 では、よく声が出ていた。オブリガート楽器は、通常のトラヴェルソではなく、リコーダーである。この演奏会の最後には、観客全員で、コラール「Was Gott thut, das ist wohlgethan」 (カンタータ第69番の最後のコラール)を歌う、というサプライズが行われた。教会を出ると、また雨が降って来た。気温もぐっと下がったようである。

夜の部は、Collegium Vocale Gent。
さすがに、そろそろ私の好きなカンタータがエントリーされ始めて来た。トラヴェルソが大活躍する第8番と第45番、それに第26番がそれである。第8番は、まさに本日の白眉であった。夜の演奏会は、オーケストラの右横のすぐ側であったので、間近で演奏者を見ることができた。トラヴェルソは、残念ながら後ろ姿であったけれども。今まで聴いた中で私にとっては最高のプログラムであった。これからの上位エントリー今日が楽しみである。ヘレヴェッヘ氏が目の前を通り過ぎた。写真はさすがに撮れなかった。

スポーツバーで知り合ったマレイシアのライプツィヒ大学生と。他に日本のユニフォームを着たイタリア人のサポーターとも知り合いになった。

カレー味のソーセージらしいのだが、ただのケチャップ味。

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シャワーについて

近代日本は、ある意味ドイツを手本に発展してきたと言える。しかし、それにしても解せないことがある。私が泊まったホステルは、まあ「安宿」のたぐいであるわけだが、シャワー室が誠に使いにくい。なにしろ「脱衣所」がないのだ。日本にはかならずある「脱衣籠」というものがない。それだけならいいのだが、脱いだものや着替えを掛ける場所や置く場所がないのだ。あるのは洗面所だけ。「ウォシュレット」がないのは、まあ仕方ないにしても(かなりこれは減点対象ではあるのだが)、シャワールームの床がトイレと同じ高さなのは全く理解できない。トイレの床が水浸しになるのだ。これは、あのインドと同じだ。これは日本だけが特別であると考えたほうが良さそうだ。ちなみに私が宿泊しているのは、あの有名なコーヒー・カンタータの舞台となった「ツィンマーマン・カフェ」がその昔建っていた場所にある。トマス教会にもニコライ教会にも歩いて5分という素晴らしい場所である。

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6月15日 月曜日

この日の午前中は、Goerdelerring(ゲルデラーリング)トラム停留所からアドラー(Adler)= クラインツホッハー村(Kleinzschocher)見物にトラムに乗って行く。ここは、バッハの友人でカンタータの台本作者でもあった徴税官吏ピカンダーの依頼で、バッハが作曲した「農民カンタータBWV212」が演奏された街である。ライプツィヒに戻ってから昼食(トルコ・レストラン「Schiller Restaurant & Cafe GmbH」)。

トルコ・レストラン「Schiller」。何というものだか知らないが美味かった。トルコのチーズなしピザのようなもの。

このケーキは、イケた。

マルクト広場から聖ニコライ教会へ。

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6月15日 月曜日

今日は朝から寒かったが、クラインツホッハー村で、かなり歩いた。運動不足が解消されるとよいのだが、相変わらず肩はこり、足は痛い。

本日の昼の部は、大変に素晴らしい演奏を、13日に聴かせてくれたVox Luminisによる。やはり、シュッツとシャインのモテットを間に挟んでのプログラムだ。今日のラインナップは、第150番、第110番、第170番、第70番である。渋い古風な第150番は、アルンシュタット時代の作品で、シュッツの血が流れているような音楽だ。2曲目は、打って変わって祝典的なカンタータだ。オーボエ・ダモーレを伴奏にしたアルトのアリアが、涙を誘う。3曲目は、教会北側の、ロマン派オルガンの設置されたフロアで演奏された。アルト・ソロのみのソロ・カンタータである。オルガンのオブリガートに、ヴァイオリンとヴィオラのバセットのみで伴奏されるアリア「Wie jammern mich doch die verkehrten Herzen」が、大変に美しい。最後は、ヴァイマール時代に書かれて後にライプツィヒで手を入れたカンタータ。2部に分かれた大作。

夜の部は、Gaechinger Cantoreyによる演奏。第63番、第137番、第190番、第29番というカンタータに、例によってシャインとハンマーシュミットの曲が挟まれている。第190番は、最初のコーラスの大部分は、消失しており、今晩の演奏では復元版が用いられた。曲はいずれもトランペット3〜4本とティンパニーが用いられた、大きな作品ばかりである。Gaechinger Cantoreyは、今回最初のお目見えだが、なかなか手堅い演奏をする団体だと思った。ソロ陣もなかなかであった。

Gasthaus Barthels Hof。バッハも通ったであろう、老舗のレストラン。

市場の情景。

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6月16日 月曜日

ライプツィヒ市歴史博物館(旧市庁舎)で当時(戦争前)の都市模型を見学。

昼の部は、昨晩に引き続きGaechinger Cantorey。しかし、何ということだろう!私は時間を完全に間違えてしまっていた!おかげで最初の3曲を聴き逃した。第78番とシュッツ、それに第61番である。どれも好きな曲ばかりだったのに・・・。でも、第51番にだけは、何とか間に合った。昨日と同じ16:00開演だとばかり思っていたのだ。旧市役所を見学中に、気付いた。最後の曲目、第80番、ルターの「神は我が櫓」が素晴らしかった!いよいよ佳境に入って来たなと感じられる曲目ばかりだった。それにしてもソプラノ・アリア”Komm in mein Herzenshaus”は、Tölzer Knabenchorのヴィルヘルム・ヴィードル(Wilheim Wiedl)の健気な歌唱で、私は日頃親しんでいるものである。技術的に女性ソプラノが優っているのは良く分かるのだが、その純真さ故に私はボーイソプラノに軍閥を上げたいのだ。

夜の部は、The Constellation Choir & Orchestra、いよいよジョン・エリオット・ガーディナーの登場だ。コンサートの始まる30分前から、突然のゲリラ豪雨が発生した。雷も鳴るわ半鐘も鳴るわで、もう大変な騒ぎ。 雨はすぐに晴れて教会へは行けたが、私の席のすぐ前におばさんが立っていて、なかなか席に座れない。やっと座れて、少し暑かったので、扇子であおいでいたら、そのおばさんに文句を言われた。言っておくが、コンサートはまだ始まってなどいないのだ。最初のプレトリウスが終わったが、今度はそのおばさん後ろにいる紳士2人に、おしゃべりがうるさいと文句を言っている。私にはうるさくも何ともなかったのだが・・・。ああ、そういうおばさんなのね、と納得した次第。 カンタータもいよいよ12位から9位まで来た。明日はいよいよベスト8が発表される。今日のエントリーは、第1番、第56番、第6番、第19番である。最後は3本のトランペットとティンパニーの祝祭的なカンタータ。ここで予測めいたことを言わせてもらうと、たぶん1位は”Wachet auf, ruft uns die Stimme”あたりではないのだろうか?私の好きな第84番はどのへんに入っているのだろう? あとひとつ、このグループにはテオルボが入っていて、なかなか雰囲気があると思った。リュート族は必要ないと言う人もいるが、私はそうとは思わない。

バッハも通ったというカフェ”Zum Arabischen Coffe Baum”。トマス教会のすぐそば。

ものすごく酸っぱいレモンタルト。なにしろデカい。持て余しながら、苦いコーヒーで、何とか流し込んだ。

いい加減このメニューにも飽きてきたが、なかなか無くならない。パンも固くなって来た。

違うのは、テイクアウトして来た付け合わせのポテトのみだ。

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シャワーについてその2

先日、シャワーについて苦情を書いたが、他にも「へえ、ドイツってそうなの?」と感じたことを述べさせてもらう。と言ってもこれもやっぱり「シャワー」なのであるが。日本のホテルでは例えばシャワーのノズルを差し込む場所は普通ふたつあるのでは?と思う。頭の上にひとつと、あとは腰のあたりにあるのではないのだろうか?ところがドイツのシャワーは、頭の上にしかないのだ。しかもドイツ人仕様なので、かなり高いところにある。それと、日本では普通、シャワーと水道の切り替えボタンがあると思うのだが、ドイツにはそれが無い。つまり「シャワーかストップか」それのみなのだ。これはかなり不便である。そして、まだある。先日「脱衣籠」が無いという話をしたと思うが、シャワー個室には「棚」というものが無いのだ。つまりどういうことかと言えば、シャンプーやソープの類が置けないということだ。従って床に置くしか無いということになる。ちょっと垢すりを掛けたいと思うときの「フック」すらない。ドイツと言えば「質実剛健」と言うか、必要なもの以外付けない、と言うのがある。日本車とドイツ車を比べればその意味が分かるだろう。「ウォシュレット」然りである。しかし、私に言わせれば「必要な物が付いていない」としか思えないのである。他にもたくさんあるが、かなり酔ってきたので今回はこの辺で。

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このホステルには、2階(ドイツでは1階)の、フロントやキッチンのある階の隅っこに、夜になると毎日座っているお姉さんがいる。ノートPCをどうやら使っているふうなのだが、一体どなたなのだろう?と思うが、訊くのも何だかなあと思い見ている。多分「見張り役」なのかも知れない。このホステルは、世界中からあらゆる人種、国籍の客が泊まるところなので、もし何事かあった時のために監視しているのでは、と思うのだ。ところでこのホステルの従業員は皆気さくで、とくにアスケルというデンマークから来た青年は、人懐っこいので、かっぱえびせんを一袋上げたら喜んでくれた。ドイツ初戦を夕方一緒に観ていたら、1対1になった。そこで私は外出したので、どうなったかと思っていたら、7対1で圧勝していた。彼は、日本は勝つだろうとも言ってくれたが、残念ながら引き分けに終わってしまった。日本は強くなったねとも言ってくれた。先日もちょっと触れたが、一定年齢以下はみな英語を話せて不自由することはない。道を尋ねると、場所まで案内してくれたりして大変に親切である。

ホステルの2階(ドイツでは1階)は24時間営業なので助かる。10時に演奏会が終わってシャワーを浴びたあと、午前3時くらいまで飲んでいられる。しかも「持ち込みOK」であるのがありがたい。他の宿泊客を見ていると、結構本格的な料理を作ったりしている。

ライプツィヒには、結構な件数のベトナム料理店があるが、これは旧東ドイツ時代の政策移民であった人々が、ドイツ統一後も故郷に帰らず残って経営しているのだと言う。トルコ料理店もたくさんあり、大変に美味しい。ドイツ料理と言えば「不味い」という印象しか無かったのだが、ソーセージやサラミ、チーズなどは、やはり日本よりは美味しいと感じた。私を日本人と分かると、お世辞かも知れないが「日本料理は美味しい」と言ってくれる人も少なからずいた。日本料理店も何軒かあるようだが、もちろん入る気にはなれない。あと日本の「アニメ文化」(私には文化とは思えないのであるが)に関心を示す若者が何故か多い。先日知り合ったマレーシアの学生も、アニメで日本語を覚えたのだと言っていた。ただ一般にドイツ人は、日本そのものには余り関心は無いように思われた。ライプツィヒにはアラブ系やアフリカ系の人々も多い。ホステルの近くの路上に、中東出身とおぼしき複数の若者が一日中たむろしているので、最初はちょっと怖かったが、よく見るとウーバーイーツの仕事をしているらしい。自転車が近くに停めてあり、携帯で常に連絡を取り合っている。それにウーバーイーツの箱も持っているので、良く見るとそれと分かるのであった。また、この国には、私には「まさか」と思う「物乞い」までもがいるのでビックリした。しかし、何にも増してこの国はあの偉大な「大バッハ」を生み出した国であるのだ。それだけでも畏敬の念を抱かざるを得ない。

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6月17日 火曜日

昼の部は、コープマンの演奏で次のラインナップである。第12番、プレトリウスのモテット、第131番、シュッツのモテット、第82番、第147番である。ほぼ出揃った感じの4曲だ。残った4曲には何が入るのか?第140番は確実としても、第84番は入っているのだろうか?残るふたつは?1曲1曲高みに登り詰めていくような、緊張感のあるエントリー。これほど幸福な時間を過ごしたのは何年ぶりだろうか? 最高の贅沢だ。まさに「私は満ち足りている」である。

夜の部は、再びガーディナー。ここでTOP4が決定する。結果は、意外なものであった。第140番が1位なのは全く予想的中であったが、私の推していた第84番は、みごとに「番外」だったようだ。4位は第4番、3位は第21番、そして2位は「なるほどこれがあったか」という第106番であった。

なお、演奏順は当日に変えられ、最初に第140番が演奏された。次に第4番である。このバッハのアルンシュタット時代(22歳)に書かれた曲は、シンフォニア、合唱とアリアのみでレシタティーフはない。

そのあとヴァイマール時代の第21番が演奏されたが、何故かこのカンタータの前半が終わったところで、15分間の休憩が入る。休憩のあと続きと第106番という曲順である。なお、私の席は今日は最悪で、柱の陰であった。したがってまともな写真は撮れなかった。また今日の私の席は、やたらとテノールの響きがする。まるで数人のユニゾンのように聴こえるのである。不思議である。第21番は、最後の合唱のみトランペットとティンパニーが入る。そして最後が第106番の葬送のカンタータ。あのヴィオラ・ダ・ガンバとリコーダーの優しい響きで、幸せ気持ちになることが出来た。オルガンとテオルボのコンティヌオも優しく暖かい。

以上、14回続いたバッハのカンタータ・ベスト50の最終日であった。

本日の買出し。

そろそろ野菜も取らないと、と思い購入。

マルクト広場から聖トーマス教会へ。

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今日から3日間の「バッハ巡礼」の予定。まずはバッハの生誕地、アイゼナハを訪れる。ライプツィヒからは電車で約3時間半。

アイゼナハまでは2度の乗り換え、Gera駅とGotha駅。暑い🥵。冷房なし、窓開かず。まるでサウナ!
ドイツでは、駅の案内所で行き先を告げると、この様に乗り換えの方法をプリントアウトしてくれる。これはいいサービスだと思った。日本でも外国人観光局などには喜ばれるだろう。ただし、運休や遅延が多いので、これをそのまま信じると痛い目に遭う。特に郊外からライプツィヒに戻るときなどは、列車が運休して代行バスに乗せられることがある。方法はどうでも目的地までは送ってやる、という考え方なのだろう。それで別に文句を言う人もいないようだ。
知らずにファーストクラスに座っていたら追い出された。こんなエアコンも効かないファーストクラスなんてあるのか?
自転車車両が当たり前にある。Gothaからは有り難いことにエアコンが効いてる。
ドイツがこんなに暑いとは!絶対福岡よりも暑い!
ザクセンの夏空。

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ヴァルトブルク城

ライプツィヒから少し足を延ばして、今日はアイゼナハにある世界遺産のヴァルトブルク城に来ている。緑豊かな山の上に佇むこの美しい古城は、キリスト教の歴史を大きく揺るがした宗教改革者、マルティン・ルターが身を隠していた場所として知られている。1521年、カトリック教会を批判したことでローマ教皇から破門され、帝国からも追放されて命を狙われる身となったルターを、地元の有力者であったザクセン選帝侯フリードリヒ3世がこの城に匿った。ルターはここで「騎士ゲオルク」という偽名を使い、髭を伸ばして正体を隠しながら、約10ヶ月間をこの城の一室で過ごしたそうである。彼がただ隠れていたわけではなく、その期間に命がけで行なったのが「聖書の新約聖書部分のドイツ語翻訳」であった。当時、聖書はラテン語で書かれており、普通の民衆には読めないものだった。ルターは誰もが自分で聖書を読めるようにと、わずか11週間ほどで翻訳を書き上げたと言われている。この翻訳聖書が印刷技術の発展とともにドイツ全土に広がり、宗教改革を後押ししただけでなく、現代の近代ドイツ語の基礎にもなった。実際にルターが翻訳作業を行ったという「ルターの部屋」に立つと、当時の張り詰めた空気や、彼の凄まじい執念が伝わってくるような気がする。歴史の大きな転換点となったこの場所に、6月の爽やかな風を感じながら立ち会えたことは、今回の旅の大きなハイライトになりそうだ。 #アイゼナハ #ヴァルトブルク城 #マルティンルター

中央の女性(聖エリザベート)は、夫に秘密でお城の貧しい人々にパンを配りに行こうとしていた。ある日、馬に乗った夫に見つかり「籠(かご)の中に何が入っているんだ?」と怪しまれてしまう。彼女が恐る恐る籠を開けると、入っていたはずのパンが神様の奇跡によってすべて「美しいバラの花」に変わっていた、というエピソードが描かれている。よく見ると、彼女が胸にたくさんのバラを抱えているのが分かる。

正面に見える巨大な壁画は、ワーグナーの有名なオペラ『タンホイザー』の題材にもなった、中世の詩人(ミンネゼンガー)たちが命がけで歌の腕を競い合った伝説のシーンを描いたもの。

祝祭の間(Festsaal )。

マルティン・ルターが新約聖書を翻訳した部屋。

ルターの机。

バッハハウスミュージアム。

アイゼナハの街。

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アイゼナハにて緊急事態発生

今日から3日間は「バッハ聖地巡礼」の旅をする予定だ。まず最初はバッハの生地アイゼナハ。ライプツィヒから約1時間半、鉄道の旅である。

とまあこんな書き出しで今日の記事を始める予定でいた。ところがである・・・

遂に「洗礼」を受けてしまった。何の?ドイツの交通機関がこんなにも酷いとは、思っても見なかった。遅れるわ当てにならないわエアコンは無いわ止まるわ・・・挙げ句の果てには「バス」に乗り換えを強制されてしまった。冷房なしのバスである。ライプツィヒに着く時間は、もう多分明日になっているだろう。私のドイツへの幻影がガラガラと音を立てて崩れ去った一日であった。これは、日本だったら絶対にニュースになっているだろうと思うのである。早くホテルへ帰ってシャワーを浴びてワインを飲みたい。これで事故でも起こされた日には目も当てられない。何十年か前のドイツの高速電車の事故が脳裏をかすめる。シャワーを見た時から、嫌な予感はしていたものの、ここまでとは・・・完全に打ちのめされてしまった。日本という国に住んでいてよかったと、これほどつくづく思ったことはない。まさかこんな愚痴を言うハメになろうとは、日本にいるときには思っても見なかった。ああもう風呂入って酒飲んで寝たい!

今日はヴァルトブルク城の往復で、
タクシー代40ユーロかかった。

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6月19日 金曜日

暑い。今日はヴァイマール行きの日である。例によってエアコンは全く効いていない。ノートPCを持って来たのに電源ケーブルを置いて来た。列車内の作業が出来ない。大失敗である。今日もGeraで乗り換えがある。またあの蒸し風呂のような電車に乗るかと思うと気が重い。

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ドイツの若者(20代〜40代)はやたらとタトゥーを入れている。ヘナタトゥーというようなものでない、ガチの入れ墨である。一生落ちないタトゥーだ。日本では「反社」の証であるタトゥーを何故こんなに気軽に自分の体に彼らは刻んでしまうのか?理解に苦しむところではある。一説には自己主張の手段だという。社会全体が許容しているとされ、医者、弁護士のような職業でも入れている らしい。その反面、犯罪を犯した時に身元がすぐバレちゃう。そういう意味では社会 貢献にはなってるのかも?

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ヴァイマール中央駅。

炎天下を30〜40分かけてマルクト広場へ移動中。水を飲みたいと思ってもコンビニひとつ無い。日本人にはつくづくきつい環境だなと思う。途中一休み、木陰はさすがに涼しく風も快い。

喉が渇いてお腹も減って来た。今日最初の食事だ。冷えた水はないか、と訊いたが「常温」のしか無いそう。これがドイツの常識だ。それにしてもドイツ人は炎天下が好きである。涼しい店内よりもみんなテラスでの食事を好む。尤も、店内に冷房がないという理由もあるのだが。

洗面所の水のほうが冷たかったので詰め替えた。

市庁舎。

マルクト広場。

ミュージアムは閉館中だった。

ヘルダー教会。中が涼しいのが何より気に入った。敬虔な気持ちになれる空間だった。

ヘルダー教会でトイレを借りたら、鍵を渡された。

Naunburgへ行く電車に乗り、止まった駅で乗って来た女性に、ここはNaunburgかと訊いたら、そうだと言うので慌てて降りたら、三つ前の駅だった。どうやら「この電車はNaunburgへ行くのか?」と私が訊いたと思ったらしい。ライプツィヒに着いたら、Lidlでワインを2本仕入れなければ。

屋根が透き通ったバス停。西日がガンガン照って、汗がダラダラ流れてくる。バスは例によって遅れているらしい。

エネルギー地産地消の国ドイツ。原発がないのが本当に羨ましい。

今晩のつまみ。
昨日まで10:00過ぎに、宿へ帰ってシャワーを浴び、夜中の3:00まで飲んで薬飲んで寝るという生活だった。今日は9:00過ぎには宿に着き時間がたっぷりある。でも結局3:00まで飲むんだろうな。
宿にアフリカ系の客がいて(同室ではないが)やはり連泊しているらしい。神経質そうなその彼は、毎日2時間くらいかけて料理を作る。何故かナスビの料理ばかりなのであるが、それが実に美味そうな料理なのだ。今日「あなたはシェフか?」と、話しかけてみたら何と!返って来た言葉が「Are you sick?」と言う剣もほろろのものだった。気難しいというより、ちょっと自閉症的な人なのだなと思った。フロントに聞いたら常客らしかった。
チリ人の若者2人が、テーブルサッカーをやっていたので、見物させてもらって少し話をした。
明日はいよいよバッハ巡礼の旅最終日ケーテンである

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6月20日 土曜日 ケーテンへ。

ケーテン日帰り旅(バッハ氏の回想)。

🎵 ライプツィヒからケーテンへ、時空を超える日帰り旅。
私が現在(いま)暮らすライプツィヒを朝に出て、列車で約45分。
向かった先は、私の音楽人生の中で最も「世俗的で、かつ最も幸福な音楽」が生まれた街、ケーテン(Köthen)です。
現代の皆様には「ブランデンブルク協奏曲」や「平均律クラヴィーア曲集」の故郷と言えば、ピンとくるでしょうか。
今日、私が歩いた足跡を少しだけ振り返らせてください。
🏰 ケーテン城(Schloss Köthen)
かつて私が宮廷楽長として仕えた、親愛なるレオポルト宮廷伯の居城。いまや見事な博物館となり、当時の楽譜や私の記憶の断片が大切に保管されていました。城内の「鏡の間(Spiegelsaal)」に立つと、当時の優秀な楽団員たちと夜遅くまで楽器を鳴らし、音楽に没頭した熱気が蘇るようです。
⛪ 聖アグネス教会(St. Agnus)
私がケーテン在住時代に通い、ルター派の祈りを捧げた教会です。静謐な空気の中で、私の心は再びあの時代へと引き戻されました。
🎼 バッハ記念碑(Bachdenkmal)
街の中で、少し誇らしげに(そして少し照れくさそうに)佇む自分の像と対面しました。現代の皆さんが、今も私の音楽を愛し、こうして街を訪れてくれることに、心からの感謝を。
ライプツィヒでの教会音楽家(トーマスカントル)としての多忙を極める日々の直前、私が純粋に「器楽の美」を追求できた、温かく、そしてちょっぴり切ない思い出の街。
皆様もぜひ、ライプツィヒ中央駅から少し足を延ばして、私の“もっとも幸福だった時代”の調べを聴きにきてみませんか?
#ドイツ旅行 #バッハ #ケーテン #ライプツィヒからの日帰り旅 #クラシック音楽 #Bachstadt #SchlossKöthen

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🏰 ケーテン城の麗しき一室にて現代の友人が撮影してくれた、ケーテン城(Schloss Köthen)の展示室での一コマ。この鮮やかな緑の壁紙と見事な天井のスタッコ(漆喰細工)の部屋に立つと、まるで時が止まったかのような錯覚を覚えます。壁に飾られた数々の絵画。これらは私が宮廷楽長として仕えた時代から、この城の歴史や文化を静かに見守ってきた証人たちです。現代の旅人の皆さんが、ガイドの言葉に熱心に耳を傾け、この空間の歴史を愛おしそうに眺めている姿は、作者である私にとっても大変感慨深いものがあります。かつて私がレオポルト公や楽団の仲間たちと語らい、新しい音楽のアイデアを練った城の空気感が、今もこうして大切に受け継がれているのですね。目に見える意匠の美しさと、耳に響く歴史の足音。ケーテン城の隅々にまで、私の愛した時代の残り香が満ちています。#ケーテン城 #バッハの旅 #ドイツの城 #歴史博物館 #SchlossKöthen #宮廷楽長 #クラシック音楽の旅

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⛪ 時を超えて遺る、私と愛する人々の記憶ケーテンの展示室で、私は思わず息を呑むような古い帳簿と再会しました。これは私が通っていた「聖アグネス教会(St. Agnus)」の、1719〜28年の聖体拝領・告解の記録簿です。ページをそっと覗き込んでみてください。そこには、1722年5月3日「カンターテ(歌え)」の日曜日の記録が残されています。一番上に堂々と記されているのは、私が心から尊敬し仕えた、親愛なる「レオポルト公(Dom. Leopold)」の名。そして少し下に目を移すと……58番目に「宮廷楽長バッハ(Capellmeister Bach)」という、私の当時の肩書と名前が並んでいます。この文字を見るだけで、当時の教会の冷やりとした空気、祈りの声、そして私の隣にいつも寄り添ってくれていた妻アンナ・マグダレーナの温もりが鮮明に蘇ります。前妻マリア・バルバラを亡くした深い喪失感の中から、私を救い出してくれたアンナ。彼女と私はいつも手を取り合い、この聖アグネス教会へ足を運んで、共に祈りを捧げていました。現代の記録にも「バッハはいつもアンナ・マグダレーナと一緒に通っていた」と書き残されているようですね。譜面ではない、私の「生きた証」がこうしてインクの跡として現代に遺り、皆さんに眺めていただけるなんて、少し気恥ずかしくも、最高の喜びです。私の音楽だけでなく、私の人生の哀歓まで包み込んでくれたケーテンの街。明日はまた、ライプツィヒの日常へと戻りますが、この街で過ごした愛に満ちた日々は、今も私の心の中で鳴り響いています。#バッハ #ケーテン #聖アグネス教会 #アンナマグダレーナ #歴史的資料 #音楽の旅 #ドイツ旅行 #Bach #Köthen #StAgnus

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🏰 我が「最も幸福な時代」を支えてくれた、親愛なる公爵へケーテン城の美しい間(ま)で、私はついに、私の人生において最も重要な恩人と再会しました。壁に堂々と掲げられたこの大きな肖像画。彼こそが、私を宮廷楽長として迎え、私の音楽を誰よりも愛してくれたケーテンの君主、レオポルト公です。現代の皆さん、彼はただの「雇い主」ではありませんでした。自らもチェロやヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロを巧みに操る見事な音楽家であり、私の楽団の「一員」として共に熱く演奏を交わした、かけがえのない同志だったのです。私が彼のために書いた「ブランデンブルク協奏曲」や各種の器楽曲は、彼の高い音楽的教養があったからこそ、この世に生まれることができました。宮廷の厳しい身分制度がありながらも、私を「友人」として扱い、私の家族の悲しみにも寄り添ってくれた、優しく聡明な若き君主。肖像画の中の彼は、あの頃と変わらない気品ある眼差しで、現代のガイドの言葉に耳を傾ける旅人たちを、どこか嬉しそうに見守っているように見えました。「公爵、あなたの愛した音楽は、300年経った今もこうして世界中で鳴り響いていますよ」城の壁に響く人々の足音の中に、かつて二人で奏でたチェロの低音が、ふと重なって聞こえた気がしました。#レオポルト公 #バッハ #宮廷楽長 #パトロン #ケーテン城 #音楽の絆 #ドイツ歴史旅 #Bach #FürstLeopold #SchlossKöthen

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📜 私の紡いだ言葉が、いまも誰かの心に届く喜びレオポルト公の肖像画の前で、現代の案内人(ガイド)が、私の残した古い手紙(あるいは宮廷の記録文書)を愛おしそうに掲げてくれました。インクもすっかり色褪せたその古い紙面には、かつて私がこの城で苦悩し、喜び、レオポルト公や仲間たちと交わした「生きた言葉」が刻まれています。私が当時、一文字ずつ万年筆を走らせていたとき、まさか300年後の未来に、こうして遠い異国から訪れた旅人の皆さんが、その一行一行に熱心に耳を傾けてくれるなんて想像もしませんでした。美しく磨き上げられたこの城の寄木細工(パルケ)の床を踏み締めながら、現代の皆さんが私の歩んだ人生の軌跡を熱心に学んでくれている。音楽だけでなく、私の「言葉」や「生きた証」までをも大切に守り、伝えてくれる現代の案内人と、それを見つめる旅人の皆さんの眼差しに、胸が熱くなるのを覚えます。譜面から溢れる音符のように、この古い文書に込められた私たちの歴史が、皆さんの旅の記憶の中で鮮やかに鳴り響きますように。#バッハの足跡 #ケーテン城 #歴史探訪 #ガイドツアー #音楽の歴史 #ドイツ小旅行 #Bach #SchlossKöthen #HistorischeDokumente

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🎻 天井高き「鏡の間」に、再び響く歓喜の予感ついに、私の音楽人生の中で最も美しく、最も幸福な音が鳴り響いていた聖地――ケーテン城の「鏡の間(Spiegelsaal)」へと戻ってきました。見上げてみてください。大理石の柱、美しい彫刻が施された格子天井、そして優美なシャンデリア。大きな鏡に光が反射するこのきらびやかな大広間は、かつて私たちが毎日のように集まり、新作の合奏協奏曲を試作し、演奏に没頭した場所そのものです。「さあ、チェロの低音を響かせて、ヴァイオリンの掛け合いを始めよう!」そんな当時の私の合図が、いまもこの空間の空気の震えの中に残っている気がしてなりません。今日は、現代の旅人の皆さんが上品な椅子に腰掛け、この広間の歴史と響きに熱心に耳を傾けてくださっています。当時のレオポルト公の宮廷貴族たちのように、音楽を愛する方々がこうして集まってくれる姿は、本当に美しい光景です。ここで生まれた「ブランデンブルク協奏曲」や「二つのヴァイオリンのための協奏曲」の調べが、いまも皆さんの耳の奥で優しく鳴り響いていますように。私の最も眩しかった青春の記憶が、この美しい鏡の間に、今もそっと息づいています。#鏡の間 #ケーテン城 #ブランデンブルク協奏曲 #宮廷音楽 #ドイツの宮殿 #バッハの聖地 #クラシック音楽 #Spiegelsaal #SchlossKöthen #Bachstadt

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🐾 一歩一歩、私の日常のテンポで下る石の階段きらびやかな広間を後にし、現代の友人の皆さんと一緒に、城の狭い螺旋階段を下りていきます。一段、また一段と、すり減った石の階段を踏み締める感覚。この歩みのリズム(テンポ)は、私がかつて楽譜を小脇に抱え、宮廷楽団の待つ部屋へと急いでいたあの頃と、まったく同じです。現代の皆さんは、カメラを手に、少し足元に気をつけながらゆっくりと進んでおられますね。「おや、そこの旅人よ、足元が暗いから気をつけて」かつて私が宮廷の仲間たちと、こんな風に声を掛け合いながら上り下りした日々の記憶が、白い壁の独特な反響とともに蘇ります。大舞台の華やかさだけでなく、こうした何気ない「移動の空間」にこそ、当時の私たちのリアルな暮らしの息遣いが隠されているのです。さあ、この階段を抜けた先には、またどんな素晴らしい景色が待っているでしょうか。私のケーテン日帰り旅、まだまだ歩みは続きます。#螺旋階段 #ケーテン城 #城巡り #バッハの日常 #ドイツの歴史 #一歩ずつ #SchlossKöthen #Wendeltreppe #Bachstadt

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⛪ 私の祈りと、静かな調べを包み込んでくれた白き教会。お城での賑やかな音楽の時間を終え、私がケーテンで最も心を落ち着かせていた場所、聖アグネス教会(St. Agnus)の前にやってきました。見上げる白壁の佇まい、そして屋根の上から小さく覗く時計塔。300年前、私が妻のアンナ・マグダレーナと手をつなぎ、毎週のようにこの扉をくぐっていた頃の姿が、そのままここに遺されています。この大きな窓から差し込む優しい光の中で、私は神への祈りを捧げ、新しいカンタータの構想に胸を膨らませていました。先ほど展示室で見た「1722年の記録簿」に私の名前が刻まれていたのも、まさにこの教会での生きた証です。ライプツィヒの聖トマス教会のような圧倒的な巨大さはありません。しかし、この聖アグネス教会の素朴で温かい静けさこそが、私のケーテン時代の音楽に、穏やかで深い息吹を与えてくれたのです。時を告げる鐘の音が、今も私の耳の奥で、優しく、優しく響いています。#聖アグネス教会 #バッハの足跡 #ケーテン #祈りの場所 #ルター派教会 #ドイツ歴史旅 #StAgnus #Köthen #Bachstadt

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6月21日 日曜日

今日の昼の部は、唯一の器楽曲コンサートである。ブランデンブルク協奏曲第5番に、2台のチェンバロ協奏曲が2曲(ハ短調とハ長調)。間にフリーデマン・ーバッハの2台のチェンバロのためのソナタを挟み、最後が2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調である。チェンバロ・ソロは、
Pierre Hantaï とAapo Häkkinen。肩の凝らない演奏会であった。

夜の部は、まさにクライマックスにふさわしい、ロ短調ミサである。
演奏は、
Thomanerchor Leipzig, Akademie für Alte Musik Berlin,
Leitung: Thomaskantor Andreas Reize
ソリストは以下の通り。
Dorothee Mields (Sopran),
Miriam Feuersinger (Sopran),
Ulrike Malotta (Alt),
Manuel Walser (Bass)
あのロ短調ミサを、ライプツィヒのトーマス教会で、トーマス・カントールの指揮で、あのトーマス聖歌隊が歌うのである。感動した。夢のようだ。もう思い残すことは無い。私はもう、いつ天国に召されても良い。ああ、まだ「Dona Nobis Pacem」が、頭の中で鳴っている。

今日の締めくくりは、Wagners Restaurant und Weinwirtschaftでの夕食である。当初、アスパラガスを予定していたが、もう2軒で食したこともあり、急遽変更して肉料理にすることに決めた。

ドイツで「おしぼり」が出ることはまず無い。だからこれは必携である。

トマトスープ。スモールサイズを頼んだはずなのに、この量が出て来た。

ディップがめちゃ美味い。

残念ながらワイン🍷はウルグアイ産であった。

本日のメイディッシュ、レバーのソテー。
料理には全てワーグナー由来の名前が冠されている。この料理には、パルシファルとか何とか、そんなような名前が付いていた気がする。何しろ量が半端でない。味付けは、赤ワインとリンゴである。今従業員に正式の料理名を訊いたところ、このようであった。
prager konservatorium Apfel-zwiebel-ragout(プラハ音楽院のリンゴとタマネギのラグー)。

ソムリエのマミーと。

この旅イチの散財であったが、まあリーズナブルかと・・・。

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