- 平均律への道
- 「タルティーニ音」について
- 純正三和音を作るには
- ミーントーンについて
- アロンのミーントーン考
- 所謂「ウェル・テンペラメント」について
- ヴァロッティの調律法について
- バッハの調律法について
- バッハの調律法について2
- ルイ・クープラン作品全集 / ジャン・ロンドー
- ジャン・ロンドーによるルイ・クープランのパヴァーヌ
- レーマン仮説の崩壊:希望的観測対18世紀の常識
- ボーイ・ソプラノ
- 「レーマン教徒」と異端審問官たちの狂乱
平均律への道
平均律への道
所謂バッハの「平均律クラヴィア曲集」に於ける「平均律」とは何であったか?バッハが曲集タイトルに用いた「Wohltemperierte Klavier(よく調律されたクラヴィア)」とは、本当に「平均律(equal temperament)」を意味したのだろうか?否である。この言葉の意味するところはおそらく「程良く遠隔調までも演奏できる」あるいは「ほんの少しの手直しで遠隔調も演奏できる」調律法のクラヴィア、と言う程度の意味であったろう。
さて「調律」と、一言で言うが、演奏のたびに調律が必要な楽器とは、ヴァイオリン、ハープ、ギターなどの弦楽器および、弦を張った鍵盤楽器である。管楽器は調律することができない。と言うより管楽器は、楽器製作の段階で調律が「済んでいる」楽器であり、演奏者が調律し直すということはまず無い。もちろん演奏者が製作者でもある場合にはその限りではないが。したがってこれから以降「調律」と言えば、敢えて断らない場合「鍵盤楽器」「弦楽器」のそれと考えていただきたい。
蛇足になるが、管楽器はできるだけ「平均律」に調律されていることが望ましい。楽器が平均律であって初めて「純正」なハーモニーを作ることができるからだ。しかし、バロック時代の古楽器を見てみると、やはりそうはいかない。例えばフルートはファが高く鳴りが悪い。それに対しファ#は低く良く鳴る。そのため演奏の際には唇の形や楽器の角度で調整をしていた。
調性音楽、それもハーモニーを伴う音楽がヨーロッパに現れたのは、ルネッサンス時代である。それまでは、基本的に単旋律の声楽器楽または、しばしばドローンを伴うオルガヌムによる声楽器楽曲が主体であった。4度5度の平行を主体とするこの形式では、純正ハーモニーが使われたはずである。その後ルネッサンス時代になって、ハーモニーの中に「3度」が現われ、徐々に音楽は調性(長調、短調)を備え始めるのだ。
そこで厄介な「調律」と言う問題が生じてくる。
「純正律」と言う言葉がある。これは実は机上の調律であって現実にはありえないものだ。この調律ではピタゴラスの5度と後述するミーントーンの長三度を組み合わせた、唸りのない三和音が得られる。しかし、この純正ハーモニーは、鍵盤楽器で用いることは絶対に不可能である。つまりハ長調のいくつかの和音から外には出られない調律だからだ。音程が固定的であるかぎり、その実現はありえない、という調律法なのだ。※19世紀の終わりに、この調律を実現するために「分割鍵盤」オルガンを考えた者がいたが、到底実用に堪えるものではなかった。
では純正(調律)が絶対に不可能なのかといえば、そうとも言えない。もちろん鍵盤楽器では不可能だ。実際にそれが可能なのは、声楽アンサンブル、弦楽アンサンブル、管楽アンサンブルなどの場合である。これらのアンサンブルでは上級者の場合、論理的には説明は絶対できないが、メロディの節目節目の、謂わば「かなめ」の三和音を「純正に」即座に合わせることが可能なのだ。ただし、それには各パートが、自分の楽器の「響き」や「癖」を完璧に把握していることが、その前提条件として必要となる。こうして作られた純正なハーモニーほど美しいものはない。ここで詳しく触れる余裕はないが「差音」(タルティーニ音)と呼ばれる物理現象により、純正な和音は意外と簡単に得られる。
https://www.facebook.com/groups/593250111017228/posts/1988751838133708/
ミーントーンの調律法が使われていたのは、初期バロックから中期バロック、一部後期バロックのはじめ頃までであった。作曲家で言えばフレスコバルディ、スウェーリンク、ルイ・クープラン、ダングルベール、シャンボニエールと言ったところか。この頃の楽曲は、シャープやフラットはあまり用いられていない。さらに遠隔調への転調というものもあまりない。その傾向はフランソワ・クープランまで続く。これらの作曲家の楽曲が、一番美しく響く調律法は、間違いなくミーントーンである。だがラモーに至ってミーントーンでは太刀打ちできない曲が現れる。そしてバッハの「平均律クラヴィア曲集」が登場する。
よく「バロック時代のリコーダーはミーントーンに調律されていた」などという話をまことしやかに言う人がいるが、これは嘘っぱちもいいところである。そもそもミーントーン(中全音律)とは、鍵盤楽器特有の調律法であって、しかも「常に適宜変更を要する」調律なのである。つまり、実際には、演奏する曲の調性に従って適宜長三度の音程をあちこち上げ下げしながら演奏されていたわけだ。
中全音律は、ハ長調のドからはじめて5度を4つ積み上げた時に、ミの音がドに対して純正(唸りがゼロ)になるように、4つの5度を狭く取っていくものである。そしてこれらの狭く調律されたド、ソ、レ、ラ、ミの上下の長三度を純正に合わせていく。「ソ♯」はミの音から純正に取られるが、♭系の曲の場合は、ドから下に純正に取られる。これはすなわち「ソ♯」ではなく「ラ♭」なのである。こういう調律をされているミーントーンの鍵盤楽器では、不思議な響きがすることがある。
例えばハ長調のメヌエットで、第二メヌエットがハ短調であるような場合だ。第一メヌエットでは純正な響きが支配していたのに、第二メヌエットに入ると汚い長三度が目立つ。理由は「レ♯」と「ミ♭」や「ソ♯」と「ラ♭」などが、異名異音となるからだ。また、何かの拍子にミーントーンの中の究極の悪音程「ウルフの5度」が聞かれる場合がある。これは5度を狭く取ることによって生じた「しわ寄せ」の広い5度のことで、極めて不快な音程である。
我々がミーントーンに調律された鍵盤楽器の特徴を実感するのは「和音」よりもむしろ「メロディ」かも知れない。何故ならばミーントーンにおいては「半音が広い」のである。この広い半音にトリルが付けられた時に、何とも古めかしく優雅な気分になれる。
こういったミーントーンの矛盾と制約から逃れるために、当時色々な調律法が開発されていった。詳しくは別の機会に譲るが、そのような調律法としては、ドイツではヴェルクマイスターの調律法、キルンベルガーの第3調律法、イギリスではヤングの調律法、フランスではラモーの調律法、ルソーの調律法などが知られる。いずれも、考え方としては、どの調性も「程よく美しく」どの調性も「程よく汚く」響くように、ミーントーンのウルフ音程を適宜に振り分けていった、謂わば「濁り」を「希釈」していったものであった。そしてこの考え方が現代の「平均律(equal temperament)」につながっていくのである。バッハが用いた調律法も、おそらくこれらの中の一つであった可能性が高い。あるいはバッハ独自の調律法が存在したのかも知れない。だが、バッハは自分の調律法については何も文字に書き残していないので、バッハの言う「Wohltemperierte Klavier(よく調律されたクラヴィア)」がどのような調律法であったのかは、永遠の謎である。
前にバッハの生涯を描いた映画についてエントリーを書いたことがある。その中でフランスの音楽家ルイ・マルシャンが、バッハがチェンバロを調律する音を聞いて「この調律は何なんだ!こんな調律法を用いる音楽家とは闘いたくない」と言って、予定されていた「チェンバロ演奏対決」をほっぽり投げて帰ってしまう、というシーンがあった。マルシャンが逃げた後、ゆうゆうと一人で「幻想曲ハ短調」を演奏するバッハのシーンがそれに続く。
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マルシャン:「(バッハの調律を聴いて)…彼は一体どうやってあのチェンバロを調律しているんだ?あれは Lebell(レベール)、お前が言っていたような『理論的な遊び(theoretische Spielerei)』なんかじゃないぞ!」 「彼はD major(ニ長調)からC-sharp minor(嬰ハ短調)へ、そこからA-sharp minor(嬰短調)、あるいはA-flat major(変イ長調)へ行っている。一体どんな迂回路を通っているんだ?」
レベール:「……いや、彼は迂回などしていません。直接、転調しています。小さな3度(短3度)を敷き詰めた全音階のコード進行を使って……そんなこと、本来は不可能なはず(wolf quen)ですが……」
マルシャン:「(狼の五度=ウルフに)ハマっていない!それこそが謎(Rätsel)だ! コレッリも、ヴィヴァルディも、あの向こう見ずな若きラモーでさえ、F-sharp major(嬰ヘ長調)のBの和音なんて一音も書いていない!なぜだ?バッハは知っているんだ、五度圏のすべてを完璧に支配している(er beherrscht ihn)!」「あんな(ヴァイマルのような)500軒しかない田舎から、新しい音楽の宇宙(ein neues musikalisches Universum) を創り出し、そこを平然と散歩しているような男と、俺に戦えというのか?そんなの聞いていない、絶対に嫌だ(nein nein nein)!」
なおリュートという楽器が、どのような調律だったかについて私は詳しくは知らない。しかし、当時の撥弦楽器のフレットは多くはガット製である。これはどういうことかというと、フレットが「可動式」であるということを意味する。現に私の知っているリュート奏者は、調律のたびにこのフレットを動かしていたし、時には斜めにずらしたりしていた(それが何を意味するのかはさっぱり分からなかったが)。しかし、この楽器は、その気になれば(原理的には)12平均律が可能な楽器でもあるのだ。もっとも、だからといってリュート奏者が12平均律を意識していたということは絶対にないだろう。
P.S.近年、バッハが「平均律クラヴィア曲集」第一巻の手稿譜の表題上部に書き込んだ図形が「バッハの調律法」のヒントではないのか、という興味深い研究が、幾人かの人々によってなされている。これはかなり信憑性のある主張であり、一見の価値があると思われる。 #baroque #temperament #meantone #bach #片山俊幸
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「タルティーニ音」について
「タルティーニ音」について
以前「平均律への道」という文章で「タルティーニ音」について書いたことがある。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=956577131559265&id=100016209605860
差音(タルティーニ音)とは、異なる2つの音を同時に鳴らした時に聞こえる、2つの音の周波数の差に等しい周波数の音のことである。例えば100Hzの音と101Hzの音を同時に鳴らすと一秒間にひとつの唸りが生じる。100Hzと104Hzでは一秒間に4つの唸りが生ずる。このくらいの小さな違いの場合は、音ではなく唸りとして人間の耳には感じられる。しかしこの周波数の差がある程度大きくなると、その唸りが固有の音高として感じられるようになる。音符で説明するとそれは以下のようになる(図1)。
分かり易いように、今100Hzの音を仮にヘ音記号のドと仮定する。するとその1オクターブ上のドは200Hzである。その上のソは300Hz、そしてその上のドは400Hz、その上のミは500Hz、その上のソは600Hz、その上のシ♭は700Hzとなる。隣り合っている2音の周波数の差はいずれも100Hzであることが見て分かるであろう。つまりそれらの2音を同時に鳴らすといずれもヘ音記号のドの音(100Hz)が聞こえるのだ。これは実際に聞こえるので、ヴァイオリンやリコーダーで試してみると良い。
この周波数比で得られる和音は純正な和音である。純正な和音とは、ピタゴラスの5度とミーントーンの長三度で出来た和音のことである。ミーントーンの長三度は平均律(要するに現代のピアノの調律法)の長三度よりもおよそ13.5セント狭い。またミーントーンの5度は平均律の5度よりも約3.5セント狭い(平均律の完全5度はピタゴラスの5度より狭いのでミーントーンの5度はそれよりもさらに狭いことになる)。つまりミーントーンの長三度は唸りのない純正な音程であるが、ミーントーンの5度は平均律よりも更に唸りの多い5度である。ということはバロック時代には、長三度の美しさが完全5度の美しさよりも優先されたということなのである。
<追記>
この物理現象の名前の元になっているタルティーニは、まさにヴァイオリンで重音を試し弾きしている時に、あたかももう一人、チェロが加わったような、第三が低音で響くことを発見したのである。イギリスの作曲家件歴史学者チャールズ・バーニーは、彼の旅行記の「ミュンヘン、ニンフェンブルク」を訪れた章で、このタルティーニ音に触れている。
#baroque #tartini #片山俊幸

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純正三和音を作るには
純正三和音を作るには
「タルティーニ音」を利用して純正な三和音が作れることは以前に述べた。「タルティーニ音」そのものについては今回は説明を省略するので、こちらを参照してほしい。
https://www.facebook.com/groups/593250111017228/posts/1988751838133708/
また調律についての考察はこちらにあるので参考にしていただきたい。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02aHpYihaReVqtSUNfrpMPPYdzoNZSmh5bKZBZyoNA2RZ5TLNeGwZRioanwj9XZaAVl&id=100016209605860
さて純正な三和音について、それがどのようなものであるかを、もう一度復習すると次のようになる。「純正な三和音とはピタゴラスの五度とミーントーンの長三度からなる三和音である」すなわち根音に対して、五度も長三度も唸りのない、そのような三和音である。
これを体験するには、まず響きの良いホールで、ソプラノ・リコーダー、アルト・リコーダー、テノール・リコーダーそしてバス・リコーダーでハ長調の三和音を作ってみると良い。もちろん他の楽器でも構わない。リコーダーは高次倍音の少ない楽器なので、タルティーニ音(差音)がよく聞こえ、また音程の調整がし易い楽器なので、この実験には向いているのである。(※図1)
順序としては、まずアルト・リコーダーがCのロングトーンを吹き、それに合わせてソプラノ・リコーダーがEのロングトーンを吹く。このとき第三の低い音が耳には聴こえるはずである。その音程はアルトのCの二オクターブ下のCであるはずだ。これが「差音(タルティーニ音)」である。ごく普通の息圧で吹いた場合、このCは少し高めとなるはずである。この「差音」のCを、アルトの吹いているCとぴったり合うように下げるためには、ソプラノ・リコーダー奏者はEの音を弱く吹くか、または指穴に指をかざして音程を下げてやる必要があるかも知れない。そうしてできた長三度が純正な(唸りのないミーントーンの長三度)だ。バスリコーダーはアルトの二オクターブ下のCをピッタリと合わせて吹く。
次にテノール・リコーダーがGを吹く。このGはピタゴラスの五度であって平均律の五度よりも2セント高い音であるので、もしその楽器が平均律であったとしたら(そのような管楽器は実際は稀であるけれども)若干強く吹くか、替え指を使っても良いかもしれない。こうやってできた三和音は、どの声部間の「差音」も全てバス・リコーダーのCと一致する純正なハーモニーとなる。
以上述べた中で重要なのは、純正な長三度というものは「かなり狭い」のだということに尽きる。つまりハーモニーが「汚い」という場合、原因はおおかた長三度にあると見て良い。何しろ純正な長三度は平均律に比べて13.5セントも低いのである。これは意識して下げる必要があるというものだ。ピタゴラスの五度は平均律の五度に比べ2セント高いわけだが、これは意識せずともまあ「誤差の範囲」と言えるものである。 #baroque #tartini #片山俊幸

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ミーントーンについて
ミーントーンについて
<凡例>
ピタゴラスの5度・・・約701.96セント
ミーントーンの5度・・・約696.5セント
平均律の5度・・・700セント
700✕12=8,400・・・平均律5度✕12のセント数
701.96✕12=8,423.52・・・ピタゴラスの5度✕12のセント数
※誤差は23.52セント(ピタゴラスコンマ)
701.96✕4=2,807.84・・・ピタゴラスの5度✕4
約696.5セント✕4=2,786・・・ミーントーンの5度✕4
※誤差は21.84セント(シントニックコンマ)→※1/6コンマ中全音律参照
23.52-21.84=1.68セント(スキスマ)※ピタゴラスコンマとシントニックコンマの差
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ミーントーンは、演奏可能な調性が限られている調律法であることはよく知られている(ただし、ここでいうミーントーンとは1/4コンマ・ミーントーンすなわち「アロンのミーントーン」のことである)。そのため実際の演奏現場では、この調律法は適宜手直しをされていたのである。つまりどういうことかというと、演奏される曲の調性によっては、基礎の4つの5度(C-G,G-D,D-A,A-E)を(D-A,A-E,E-H,H-F♯)とすることが出来たし(E♭-B♭,B♭-F,F-C,C-G)とすることも出来た。それによって#の多い曲や♭の多い曲も弾くことが出来るわけである。ただし、そのようなことが頻繁に行われたかどうかといえば、その確証はない。だが例えば(C-G,G-D,D-A,A-E)のまま、例えばコンサートの休憩時間に「G♯→A♭」「D♯→E♭」というふうに調律し直されていたのは間違いのないことだろう。では、G♯とA♭が両方出てくる曲ではどうしたのか?その場合は出てくる頻度によって決めていたのだろう。アロンのミーントーンをセントで表すと次のようになる。(図1)
696.5✕11=7661.5
738.5・・・ウルフ(G♯-E♭)
※ご覧の通りこの5度は、ピタゴラスの5度よりもなんと約37セントも広い!
7661.5+738.5=8,400
この調律法は、17世紀の中頃までは主流であった。
もう一つのミーントーン「1/6コンマ・ミーントーン」は、別名「ジルバーマンの調律法」として知られるものである。この調律法は、すべての5度を(ピタゴラスの5度-シントニックコンマ✕1/6)とし、残った誤差を最後のウルフ(G♯-E♭)に加算するというものである。「アロンのミーントーン」のウルフは738.5であるのに対してジルバーマンでは718.48となり、響きがかなり改善されている。(図2)
(701.96-21.84✕1/6)✕11=(701.96-3.64)✕11=698.32✕11=7,681.52・・・(ピタゴラスの5度-シントニックコンマ✕1/6)✕11
718.48・・・ウルフ(G♯-E♭)
7,681.52+718.48=8,400
#baroque #meantone #temperament #片山俊幸

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アロンのミーントーン考
アロンのミーントーン考
チェンバロを、アロンのミーントーンに調律すると、どうなるか、ご存知だろうか?まず「基礎になる4つの完全五度(C-G,G-D,D-A,A-E)」の各五度は、平均律の完全五度より、およそ3.5セント弱ほど狭くなる。そうして最終的に得られたミの音は、ドに対して純正な長三度となる。このミの音は、13.5セント(3.5×4)も平均律より低いのだ。だから遠隔調には転調できない。何故なら「異名同音」ではないから。CDの録音で「ミーントーン」を謳ったものは、実際にはアロンのミーントーンを修正している例が多い。つまり私の感じるところでは、長三度を少し広めにとっているのではないかと思う。そうすることで例えばG#とAbが、あまり破綻を来たさないようにしていると思われるのである。例えば、ルイ・クープランの演奏において、平均律以外の調律を用いていると思われるのは、アラン・カーティスや、ブランディーヌ・ヴェルレーなどがいる。しかし、彼らのレコードを聴いていると、ミーントーン特有の音程が「修正」されていると感じられるのだ。それは何かといえば「半音」である。実際にアロンのミーントーンをその理屈どおりに調律すると、半音はかなり広くなる。何故か?例えばハ長調のハの音から基礎4音(完全5度)を取るとFの音がかなり高くなってしまう。それに対しミは低い(13.5セントも!)のだ。その結果、当然のことながらミとファの音程は「とてつもなく」広くなる。ドとシも同様である。しかし彼らの録音を聴いていると、この半音がそれほど広くはないのだ。明らかに「録音」を意識しているのが見て取れる。私の持論では、アロンのミーントーンとは「常に修正し直す」調律であると思っている。つまり演奏会のプログラムにおいては、前半を#系の楽曲にし、ハーフタイムに演奏者は調律をし直したあと、後半のb系のプログラムを演奏する、というようにである。さらに言えば「基礎4音」をCから取らずにDから取る、などの便宜を図っていたのではなかろうか?
ラモーの「コンセール第1番」では、第1楽章「La Coulicam」と第2楽章「La Livri」がハ短調で書かれている。つまり、ここで鳴り響くのはG♯ではなくA♭の音だ。しかし、この2つの音程は、アロンのミーントーンにおいては約41セント*注)——半音の4割近くにも及ぶ、全く異なるピッチを持つ「断絶された音」なのである。もし、当時の演奏家たちが私の仮説通り「ハーフタイムに調律の手を動かし、あるいは基礎音をシフトさせてこの破綻を回避していた」のだとしたら、現代の「固定された一つの調律でプログラム全曲を弾き通す」という録音の常識がいかに不自然であるかが浮き彫りになるだろう。だが、もし仮に調律を変えずにあの「Livri」のハ短調へ突入していたのだとしたら、そこにはまた別のドラマが生まれる。Cの音に対して異常に低い(実質G♯の)A♭が和音に混ざり合うとき、その引き裂かれるようなウルフの歪みは、当時のフランス人が愛した「悲劇的なため息」や「劇的な陰影」そのものとして聴衆をゾクッとさせていたはずなのだ。アラン・カーティスやブランディーヌ・ヴェルレーの録音からは、この「剥き出しの半音の広さ」や「ウルフの牙」が聴こえてこない。明らかに録音という媒体を意識して、長三度や半音をマイルドに「修正」してしまっている。彼らの洗練された演奏が悪いわけではない。しかし、アロンの理屈通りの調律が持つあの「野生的なダイナミズム」や、地響きのような広い半音のトリルの虜になった身としては、現代のCDに収められたミーントーンが、どこか檻に閉じ込められ、去勢された響きのように思えて残念でならない。ミーントーンの本質とは、机上の均整な美しさなどではなく、演奏の現場で常に形を変え、時にはウルフの毒薬すらも快楽として手懐けていた、当時のクラヴサン奏者たちの極めて泥臭くも贅沢な「生きた呼吸」の中にこそあったのではないだろうか。
*注)
これら2つの音を得るためには、次のような手順が必要である。G#は、Cの音からミーントーン五度を上に8回重ねていくのに対して、A♭では、Cの音からミーントーンの五度を下に4回重ねて行く。そうやって得られたこの2つの音の高さは、G#では平均律よりも27.4セント低くなり、A♭では平均律よりも13.7セント高くなる。このセント数をプラスすると、実に「41.1セント」にもなるというわけだ。 #AronMeantone #Rameau #Concerts #Tuning #Harpsichord #片山俊幸

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所謂「ウェル・テンペラメント」について
所謂「ウェル・テンペラメント」について
<凡例>
ピタゴラスの5度・・・約701.96セント
ミーントーンの5度・・・約696.5セント
平均律の5度・・・700セント
700✕12=8,400・・・平均律5度✕12のセント数
701.96✕12=8,423.52・・・ピタゴラスの5度✕12のセント数
※誤差は23.52セント(ピタゴラスコンマ)
701.96✕4=2,807.84・・・ピタゴラスの5度✕4
約696.5セント✕4=2,786・・・ミーントーンの5度✕4
※誤差は21.84セント(シントニックコンマ)
23.52-21.84=1.68セント(スキスマ)※ピタゴラスコンマとシントニックコンマの差
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バッハの時代に所謂「ウェル・テンペラメント」として用いられたと考えられる調律法が「ヴェルクマイスターⅢ」と「キルンベルガーⅢ」という2つの調律法である。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=956577131559265&id=100016209605860
まず「ヴェルクマイスターⅢ」であるが、3つの5度(C-G,G-D,D-A)それと2つ跳んで(H-F♯)の4箇所にミーントーン5度を用いる。残りの5度のうち(A-E,E-H)と、Cから逆回りの(C-F,F-B♭,B♭-E♭,E♭-A♭)の合計7個をピタゴラスの5度とする。そして最後に残る(F♯-C♯)で誤差を調整する。(図1)
696.5✕4=2,786
701.96✕7=4,913.72
701.96-1.68=700.28・・・※1.68セント(スキスマ)
2,786+4,913.72+700.28=8,400
「キルンベルガーⅢ」は(C-G,G-D,D-A,A-E)の4つの5度をミーントーンの5度とした後、
(E-H,H-F♯)の2つ、Cから逆回りの5つの5度(C-F,F-B♭,B♭-E♭,E♭-A♭)の合計7個をピタゴラスの5度とする。そして最後に残る(F♯-C♯)で誤差を調整する。(図2)
696.5✕4=2,786
701.96✕7=4,913.72
701.96-1.68=700.28・・・※1.68セント(スキスマ)
2,786+4,913.72+700.28=8,400
数値的には似通っているが「キルンベルガー」には一箇所だけある「純正長3度」が「ヴェルクマイスター」にはない。後者がより「平均律」的かもしれない。 #baroque #Kirnberger #werckmeister #temperament #片山俊幸

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ヴァロッティの調律法について
ヴァロッティの調律法について
<凡例>
ピタゴラスの5度・・・約701.96セント
ミーントーンの5度・・・約696.5セント
平均律の5度・・・700セント
700✕12=8,400・・・平均律5度✕12のセント数
701.96✕12=8,423.52・・・ピタゴラスの5度✕12のセント数
※誤差は23.52セント(ピタゴラスコンマ)
701.96✕4=2,807.84・・・ピタゴラスの5度✕4
約696.5セント✕4=2,786・・・ミーントーンの5度✕4
※誤差は21.84セント(シントニックコンマ)→※1/6コンマ中全音律
23.52-21.84=1.68セント(スキスマ)※ピタゴラスコンマとシントニックコンマの差
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ヴァロッティの調律法は、1/6シントニックコンマだけ狭められた6つの五度と、5つの純正な五度、そして1つのスキスマ(ピタゴラスコンマとシントニックコンマの差、約1.68セント)だけ狭められた純正な五度からなる。
<検算>
(701.96-21.84/6)✕6=(701.96-3.64)✕6=4189.92セント
701.96✕5=3,509.8・・・ピタゴラスの5度✕5のセント数
701.96-1.68=700.28・・・ピタゴラスの5度-スキスマのセント数
4189.92+3,509.8+700.28=8,400
この調律法のサークルは、Fから始まっている。また、ヴァロッティはスキスマだけ狭められる5度を、どの位置にするかについて言及していない。そのため、一般的にはヴァロッティの調律法は次のように解釈されることが多い。(図1)
(701.96-23.52/6)✕6=4,188.24・・・(ピタゴラスの5度-ピタゴラスコンマ✕1/6)✕6
701.96✕6 = 4,211.76・・・ピタゴラスの5度✕6のセント数
4,188.24+4,211.76 = 8,400
なお、このサークルをCから始める調律法が「ヤングの調律法」(図2)であるが、このふたつの調律法は基本的に同じ構造を持っている。どちらも、すべての調性を手直しすることなく演奏できる「Well-Tempered」の一種であった。
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物理学とは、数学と音楽のちょうど中間に位置する学問といえる。音楽を数学で説明しようと考えた(あるいは数学を音楽で説明しようとした)最初の人物は、紀元前582年生まれのピタゴラスであった。ギリシャ時代のピタゴラスの音律は、その後全ヨーロッパで採用され、彼の理論は中世まで忠実に踏襲された。ルネッサンス時代に入るとピタゴラスの言及しなかった音程(長3度、短三度、7度など)が用いられるようになった。そこで調律という考え方が生まれるわけだが、やがて「調性音楽」は、ピタゴラスの音律だけでは説明できないことが判明する。その頃からヨーロッパでは、あらゆる物理学者・音楽家の悪戦苦闘が始まることになるのだ。そして約200年に渡る試行錯誤の結果「十二平均律」という調律法が「発見」される。1750年頃のことである。しかし遠く中国では、実は1600年頃にはすでに「十二平均律」が発見され実用化されていたのである。発見したのは、朱載堉(しゅ-さいく)という学者である。ヨーロッパで発見が遅れた理由として、ヨーロッパ音楽が「ハーモニー」を持っていたためであると考えられる。つまり長三度の存在が、彼らに平均律の考え方を躊躇させる原因となった。そして平均律にたどり着くまでに、ありとあらゆる調律が試され続けることになったのである。逆にハーモニーを持たない中国音楽が、この考え方に安々と到達できたのは必然と言える。 #baroque #vallotti #temperament #片山俊幸

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バッハの調律法について
バッハの調律法について
https://excelkobo.net/Bach-WTC1_manuscript.pdf
バッハがいう「The Well-Tempered Clavier(よく調律されたクラヴィア)」とは、いったいどのように調律されたクラヴィアを意味するのか?それは「The Well-Tempered Clavier」第1巻の自筆譜のタイトルの上部に、バッハが「判じ物」のように書き込んだ模様が暗示している、と主張する人々がいる(図1)。
これはいわゆる「五度圏」を、横に開いて並べたものなのだという。この模様を円の形に表示すると、なるほど次のようなものになる(図2)。
そしてその五度の種類は3つあり、それぞれが次のような5度を表すとする。
バッハの調律法の回答例(Emile Jobin氏による)
◆バッハの図形
1)3重丸・・・ミーントーンの5度(5つ)
2)1重丸・・・ピタゴラスの5度(3つ)
3)2重丸・・・???
ピタゴラスの5度・・・約701.96セント
ミーントーンの5度・・・約696.5セント
平均律の5度・・・700セント
700✕12=8,400・・・平均律5度✕12のセント数
701.96✕12=8,423.52・・・ピタゴラスの5度✕12のセント数
※誤差は23.52セント
①8,400-(696.5✕5)=4,917.5・・・1オクターブからミーントーンの5度5つを引いた残り
②4917.5-(701.96✕3)=2,811.62・・・そこからピタゴラスの5度3つを引いた残り
③2,811.62÷4=702.905・・・二重丸&FCの5度
※ご覧の通りこの5度はピタゴラスの5度よりも約1セントだけ高い、ほぼピタゴラスと同じくらい純正と言える。
◆検算
(696.5✕5)+(701.96✕3)+(702.905✕4)
=3,482.5+2,105.88+2,811.62
=8,400 (図3)
以上がエミール・ジョバンによる仮説である。最後に「キルンベルガーⅢ」との比較を示す。(図4)
現代の物理学の説明では、要するに調律サークルのすべての完全五度を、ピタゴラスの五度よりも約2セント(=ピタゴラス・コンマ/12)狭く調律していけば、自動的に平均律の調律が作られることが分かる。しかし、この「セント」という単位は、機械的な手段を用いなければ測ることは不可能である。もしバッハが「平均律」を知っていたと仮定するとして、ではバッハはどうやって「平均律」を実現したのか?言うまでもなくバッハの時代の調律法というものは、100%耳で行なわれていたはずである。すなわち「ビート」の数を聴き分けることだけが可能な手段であったということだ。それとあともうひとつ考えられるのは、可能性は少ないがありうる手段として、リュートを使ってクラヴィアを調律したのではないか、ということがある。何故ならばリュートは紛れもない「平均律」の楽器であるからだ。 #baroque #bach #temperament #片山俊幸

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バッハの調律法について2
バッハの調律法について2
https://excelkobo.net/Bach-WTC1_manuscript.pdf
<凡例>
ピタゴラスの5度・・・約701.96セント
ミーントーンの5度・・・約696.5セント
平均律の5度・・・700セント
700✕12=8,400・・・平均律5度✕12のセント数
701.96✕12=8,423.52・・・ピタゴラスの5度✕12のセント数
※誤差は23.52セント(ピタゴラスコンマ)
701.96✕4=2,807.84・・・ピタゴラスの5度✕4
約696.5セント✕4=2,786・・・ミーントーンの5度✕4
※誤差は21.84セント(シントニックコンマ)
23.52-21.84=1.68セント(スキスマ)※ピタゴラスコンマとシントニックコンマの差
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もうひとつの仮説を紹介したい。ブラッドレー・リーマンのものである。彼は、バッハの図形を上下逆さまにし(図1)、Fを起点としたサークルを作った。(図2)彼の仮説の数値は、以下の通りである。
バッハの調律法の回答例(Bradley Lehman氏による)
◆バッハの図形
1)3重丸・・・ピタゴラスの5度 – コンマ1/6(5つ)
2)1重丸・・・ピタゴラスの5度(3つ)
3)2重丸・・・ピタゴラスの5度 – コンマ1/12(3つ)
4)A#とFの間・・・ピタゴラスの5度 + コンマ1/12(1つ)
<検算>
①(701.96-23.52✕1/6)✕5=(701.96-3.92)✕5=698.04✕5=3,490.2
②701.96✕3=2,105.88
③(701.96-23.52✕1/12)✕3=(701.96-1.96)✕3=2,100
④701.96+1.96=703.92
①+②+③+④=3,490.2+2,807.84+2,100+703.92=8,400
ここで注目していただきたいのは「ピタゴラスの5度-コンマ1/12」という数字で、これは、要するに現代の平均律の5度のことである。バッハがこの音程を作ることができたとしたならば、なぜ12平均律という発想が浮かばなかったのであろうか?そこが疑問である。
#baroque #bach #temperament #片山俊幸

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ルイ・クープラン作品全集 / ジャン・ロンドー
ルイ・クープラン作品全集 / ジャン・ロンドー
さてかねてより「鳴り物入り」で宣伝されていたジャン・ロンドーのルイ・クープラン全集が、いよいよリリースされた。ルイ・クープランのクラヴサン曲全集は、ブランディーヌ・ヴェルレー、クリストフ・ルセ、デイヴィット・モロニー、マッシモ・ベルゲッラなどが録音しており、以前私もブランディーヌ・ヴェルレー(ジャン・ロンドーの師でもある)のレビューを書いているが、今回のジャン・ロンドーの録音で新しいのは、クラヴサン曲のみならず、オルガン作品から室内楽までを網羅していることだろう。かなりのボリュームのCDとなっている。全部聴くのもかなりの時間を要するが、例えばもともとクラヴサンのために作られた、パヴァーヌ嬰ヘ短調を、オルガンで演奏しているなど新しい試みが見られる。なおこのパヴァーヌは、ヴィオール・コンソートとクラヴサンで演奏したトラックも含まれ、計3種類のトラックがあるが、オルガンのトラックでは、ト短調に移調されているようだ。理由はこの調性が、通常の調律法ではかなり歪んだ響きになるためで、クラヴサンは比較的容易に調律を変更することが出来るのに対し、オルガンではそれが難しいからだと思われる。リュッカースのオリジナルを始め、様々な楽器が用いられているのもこのレコードの聴きどころである。また同時代の様々な作曲家の作品もところどころに散りばめられており、楽しめる。また、1枚目のCDの第10曲(フローベルガーを模したプレリュード)で、ロンドーはちょっとしたいたずらごころを起こした。クープランの時代には、まだなかったはずのフォルテピアノを用いているのだ。以下に各曲とその使用楽器を示す。#baroque #louiscouperin #jeanrondeau #片山俊幸
https://excelkobo.net/baroque_composers/Baroque_Composers2.html
追記
「ジャン・ロンドー・/ フローベルガー氏の模倣によるプレリュード」について私が持っているのはSpotifyからのダウンロード版であるが、どうやらこのトラックにはこのシリーズとは関係のないファイルが紛れ込んでいたようである。そのファイルを、証拠としてここに掲載することにした。
これはSpotfyによるミステイクであって私の預かり知らないものである、なお、当該トラックの本来のものがYouTubeにアップロードされていたので、ここに掲載しておく。
CD 1
ルイ・クープラン (1626-1661)
組曲 ニ調
1 ) プレリュード 1
2 ) アルマンド 35
3 ) クーラント 42
4 ) クーラント 43
5 ) サラバンド 49
6 ) カナリー 52
7 ) サラバンド 51
8 ) シャコンヌ《嘆き》 57
エヌモン・ゴーティエ (通称、老ゴーティエ:1575-1651)
9 ) メザンジョー氏のトンボ―(ロンドー編)
ルイ・クープラン
組曲 イ調
10 ) フローベルガー氏の模倣によるプレリュード 6
11 ) アルマンド 100
12 ) ピエモンテ102
13 ) クーラント 103
14 ) サラバンド 109
15 ) クーラント《可愛い人》 105
16 ) サラバンド 23
組曲 ヘ調
17 ) プレリュード 13
18 ) 荘重なアルマンド 67
19 ) クーラント 69
20 ) バスク風ブランル 73
21 ) サラバンド 74
22 ) シャコンヌ 78
23 ) ブランクロシェ氏のトンボ― 81
ジャン・ロンドー
ハンス・ルッカース2世1624年製作チェンバロ
(フランス、コルマール、ウンターリンデン美術館所蔵)
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CD 2
ルイ・クープラン (1626-1661)
1 ) プレリュード OL 46(ロンドー編)
2 ) クープラン氏によるヴィオールのための幻想曲
3 ) クープラン氏によるヴィオール幻想曲
4 ) クープラン氏のサンフォニー
5 ) ヴォルト 53(ピエルロ編)
6 ) シャコンヌ 55(ピエルロ編)
マラン・マレ (1656-1728)
組曲 ロ調
7 ) プレリュード(ロンドー編)
ルイ・クープラン
8 ) アルマンド 115
9 ) クーラント 116
10 ) サラバンド 117
11 ) パヴァン 120(ピエルロ編)
12 ) クープラン氏のサンフォニー
13 ) ピエモンテ 102(ピエルロ編)
組曲 ト調
14 ) プレリュード 4
15 ) アルマンド 82
16 ) クーラント 85
17 ) サラバンド 97
18 ) パッサカーユまたはシャコンヌ 96
19 ) 幻想曲
20 ) 幻想曲 (別稿)
21 ) カリヨン 141
22 ) パリのカリヨン 140(第1カリヨンの4声版)
組曲 ヘ調(ピエルロ編)
23 ) クープラン氏のサンフォニー
24 ) アルマンド 66
25 ) クーラント 69
26 ) サラバンド 74
27 ) ブランクロシェ氏のトンボ― 81
リチェルカール・コンソート (tracks 2-6,11-13,19-27)
フィリップ・ピエルロ(トレブル・ヴィオール&芸術監督)
ジャン・ロンドー
ブルース・ケネディ製作、ブランシェ・チェンバロ
(イタリア、カステルムツィオ2011)
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CD 3
ルイ・クープラン (1626-1661)
組曲 ヘ調
1 ) プレリュード 12
2 ) アルマンド 66
3 ) クーラント 68
4 ) サラバンド 72
5 ) クーラント 71
6 ) サラバンド 44
7 ) ジーグ 76
8 ) シャコンヌ 80
9 ) ブランクロシェ氏のトンボ― 81
組曲 ハ調
10 ) プレリュード 128
11 ) アルマンド《才女》 30
12 ) クーラント 31
13 ) クーラント 86
14 ) サラバンド 32
15 ) サラバンド 24
16 ) ジーグ 33
17 ) シャコンヌ《羊飼いの娘(せきれい)》34
組曲 イ調
18 ) アルマンド(オールドハム写本)
19 ) クーラント(オールドハム写本)
20 ) もう一つのクーラント(オールドハム写本)
21 ) サラバンド 109
ジャン=アンリ・ダングルベール (1629-1691)
22 ) シャンボニエール氏のトンボ―(非常にゆるやかに)
ジャン・ロンドー
ブルース・ケネディ製作、ブランシェ・チェンバロ
(イタリア、カステルムツィオ2011)
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CD 4
ギヨーム=ガブリエル・ニヴェル (1632-1714)
1 ) 《パンジェ・リングァ・グロリオージ》
ルイ・クープラン (1626-1661)
2 ) パヴァン 120(ロンドー編)
3 ) フーガ OL 62
作者不詳
4 ) 6声のパヴァン(ウプサラ写本)
ルイ・クープラン
5 ) クロモルヌによる幻想曲 OL 57
ルイ・クープラン / ギヨーム=ガブリエル・ニヴェル
6 ) 《パンジェ・リングァ》(低音声部による)OL 34
7 ) 《最後の晩餐の夜に》
8 ) 《パンジェ・リングァ》 OL 35
9 ) 《大いなる秘跡》
10 )《パンジェ・リングァ》 OL 36
ルイ・クープラン
11 ) 反行フーガ OL 60
12 ) 幻想曲《不協和音》 OL 1
13 ) 《聖ヨハネ賛歌》 OL 31
14 ) 《聖ヨハネ賛歌》 OL 32
15 ) 幻想曲 OL 70
16. 復活祭日のための招呼句(Invitatoire) OL 51
ルイ・クープラン / ギヨーム=ガブリエル・ニヴェル
17 ) 《小羊の聖餐を準備し》
18 ) 《小羊の聖餐を準備し》 OL 54
19 ) (小羊の聖餐を準備し) 第3ヴェルセ OL 55
20 ) 《キリストは墓から甦られた》
21 ) 《すべてのものの創り主よ》
エヌモン・ゴーティエ (通称、老ゴーティエ:1575-1651)
22 ) メザンジョー氏のトンボ―(ファロ編)
ジャン・ロンドー
ギヨーム・レスリエ 1631年製作オルガン
(フランス、ボルベック、サン・ミッシェル教会)
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CD 5
ルイ・クープラン (1626-1661)
1 ) プレリュード 7
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー (1616-1667)
2 ) トッカータ第2番(1649年版)
ルイ・クープラン
組曲 ニ調
3 ) アルマンド 35
4 ) クーラント 41
5 ) サラバンド 45
6 ) ヴォルト 53
7 ) ジーグ 122
8 ) カノンによるサラバンド 47
9 ) 幻想曲《不協和音》 OL 1(ロンドー編)
組曲 ホ調
10 ) プレリュード 14
11 ) 平和のアルマンド 63
12 ) クーラント 64
13 ) クーラント 92
14 ) サラバンド 65
15 ) パヴァン 120
組曲 ハ調
16 ) プレリュード 9
17 ) アルマンド 15
18 ) クーラント 18
19 ) サラバンド 25
20 ) クーラント 19
21 ) サラバンド 22
22 ) パッサカーユ 27
フランソワ・デュフォー (1604-1672)
23 ) ブランクロシェ氏のトンボ―(ロンドー編)
ジャン・ロンドー
フィリップ・ユモー製作イタリアン・モデルによるチェンバロ
(フランス、バルバスト、2014:tracks 1–14)
ハンス・ルッカース2世 1624年製作チェンバロ
(フランス、コルマール、ウンターリンデン美術館所蔵:tracks 15–23)
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CD 6
エティエンヌ・ル・モワーヌ (1624-1689)
1 ) ル・モワーヌ氏のプレリュード(クラクフ写本)
ルイ・クープラン (1626-1661)
2 ) 幻想曲《不協和音》OL 1
3 ) 幻想曲 OL 2
4 ) 幻想曲 OL 12
5 ) デュオ OL 14
6 ) フーガ OL 11
7 ) 幻想曲 OL 13
8 ) 《めでたし海の星》OL 9
9 ) クープラン氏による幻想曲 OL 15
10 ) クープラン氏によるデュオ OL 16
11 ) 《使徒たちの悲歌》 OL 40
12 ) 詩篇第137篇(ロンドー編)
13 ) 詩篇第138篇(ロンドー編)
14 ) バスク風ブランル 73(ロンドー編)
15 ) カリヨン 139
16 ) 幻想曲 OL 25
17 ) 幻想曲 OL 27
18 ) 幻想曲 OL 21
19 ) ピエモンテ G.102(ロンドー編)
20 ) 幻想曲 OL 23
21 ) 幻想曲 OL 22
22 ) クロモルヌによるフーガ OL 20
23 ) 《祝福されしエルサレムの町》による厳粛なフーガ OL 3
24 ) 《祝福されしエルサレムの町》の主題による別稿のフーガ OL 4
25 ) 《祝福されしエルサレムの町》(アルト声部を右手親指で弾く) OL 5
26 ) フーガ OL 17
27 ) フーガ(大オルガンのティエルス・ストップで、
トランブランを使用し、非常に遅く弾かれるべき) OL 29
28 ) 《星々の優しき創り主》(アルト声部を右手親指で弾く、またはトリオで) OL 6
29 ) 《星々の優しき創り主》(アルト声部に定旋律が置かれたトリオ) OL 7
30 ) 《星々の優しき創り主》(ソプラノ2声によるトリオ) OL 8
31 ) 幻想曲 OL 66
32 ) 幻想曲 OL 67
33 ) 幻想曲 OL 68
34 ) 《世の救い主イエス》 OL 39
35 ) サラバンド 23(ロンドー編曲)
ロベール・ド・ヴィゼー (1652-1730)
36 ) 嘆き、またはヴィゼー嬢たちのトンボ―
ジャン・ロンドー
ジャン・ド・ヴィレール & ジャック・カルージュ 1663年製作オルガン
(フランス、ジュヴィニー、ノートルダム教会)
リュシル・ブーランジェ(トレブル&バス・ヴィオール:tracks 1, 12, 13 & 35)
ティボー・ルセル(テオルボ:track 36)
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CD 7
ルイ・クープラン (1626-1661)
組曲 ニ調
1 ) プレリュード 2
2 ) アルマンド 58
3 ) クーラント 59
4 ) サラバンド 60
5 ) クーラント 38
6 ) サラバンド 46
7 ) ガイヤルド 61
8 ) シャコンヌ 62
アンリ・デュモン (1610-1684)
9 ) デュモン氏のパヴァン(バウイン写本)
ニコラ・ルベーグ (1631-1702)
組曲 ニ調
10 ) プレリュード
ルイ・クープラン
11 ) アルマンド 36
12 ) 3種の曲想を持つ小曲集 37
13 ) クーラント 39
14 ) クーラント 40
15 ) サラバンド 48
16 ) サラバンド 56
17 ) ガヴォット 124
18 ) パストゥレル 54
19 ) シャコンヌ 55
組曲 ハ調
20 ) プレリュード II
21 ) アルマンド 15
22 ) クーラント 16
23 ) サラバンド 28
24 ) リゴードンとドゥーブル 127
25 ) ルベーグ氏のガヴォットとクープラン氏のドゥーブル 131
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー (1616-1667)
26 ) パリにて作曲された《ブランクロシエェ氏の死を悼むトンボ―》
ジャン・ロンドー
ブルース・ケネディ製作、クーシェ・チェンバロ
(イタリア、カステルムツィオ 2009)
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CD 8
ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール (1602-1672)
1 ) パヴァン
ルイ・クープラン (1626-1661)
2 ) プレリュード 3
3 ) パッサカーユ 98
組曲 ト調
4 ) プレリュード 129
5 ) アルマンド 83
6 ) クーラント 84
7 ) サラバンド 87
8 ) クーラント 91
9 ) ガイヤルド 88
10 ) シャコンヌ 89
11 ) プレリュード OL 46
12 ) 幻想曲 OL 47
13 ) 幻想曲 OL 48
14 ) 幻想曲 OL 49
15 ) フーガ OL 18
16 ) フーガ OL 19
17 ) 幻想曲 OL 24
18 ) 幻想曲 OL 26
19 ) フーガ OL 28
20 ) 幻想曲 OL 30
組曲 ト調
21 ) プレリュード 5
22 ) アルマンド 93
23 ) クーラント 94
24 ) アルマンド 118
25 ) クーラント 90
26 ) サラバンド 95
27 ) シャコンヌ 121
エヌモン・ゴーティエ (通称、老ゴーティエ:1575-1651)
28 ) メザンジョー氏のトンボ―(ロンドー編)
ジャン・ロンドー
ブルース・ケネディ製作、クーシェ・チェンバロ (tracks 1–3)
ダヴィッド・レイ製作、ティボー・チェンバロ (tracks 4–10 & 21–27)
ジャン・ド・ヴィレール & ジャック・カルージュ 1663年製作オルガン (tracks 11–20)
ハンス・ルッカースII 1624年製作チェンバロ (track 28)
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CD 9
ルイ・クープラン (1626-1661)
組曲 イ調
1 ) プレリュード 7
2 ) アルマンド 99
3 ) クーラント 104
4 ) クーラント 106
5 ) サラバンド 108
6 ) サラバンド 110
7 ) ポワトゥーのメヌエットとそのドゥーブル 111
8 ) アルデル氏のガヴォットとクープラン氏によるドゥーブル 125
組曲 ハ調
9 ) プレリュード 10
10. 《修道院》— シャンボニエール氏のアルマンドと
クープラン氏によるドゥーブル 126
11 ) クーラント 17
12 ) サラバンド 20
13 ) サラバンド 21
14 ) メヌエット 29
15 ) シャコンヌ 26
組曲 ヘ調
16 ) アルマンド 67
17 ) クーラント 70
18 ) クーラント 119
19 ) サラバンド 75
20 ) サラバンド 50
21 ) ガイヤルド 77
22 ) ジーグ 79
23 ) シャコンヌ(シャンボニエール/ルイ・クープラン — バウイン写本)
組曲 イ調
24 ) プレリュード 8
25 ) アルマンド《愛想の良さ》 101
26 ) クーラント 112
27 ) サラバンド 113
28 ) サラバンド 107
29 ) ジーグ 114
30 ) パヴァン 120
ジャン・ロンドー
ダヴィッド・レイ製作、ティボー・チェンバロ
(スイス、ベルン、1998)
________________________________________
CD 10
ルイ・クープラン (1626-1661) / ギヨーム=ガブリエル・ニヴェル (1632-1714)
1 ) 《太陽の昇る地平から》
2 ) 《太陽の昇る地平から》 OL 41
3 ) 《清らかな母の胎内へ》
4 ) 《太陽の昇る地平から》 OL 42
5 ) 《王をお産みになった方》
6 ) 《太陽の昇る地平から》 OL 43
7 ) 《天の群れは歓喜する》
8 ) 《太陽の昇る地平から》 OL 44
9 ) 《太陽の昇る地平から》 OL 45
ルイ・クープラン
10 ) 大オルガンのティエルスによるフーガ OL 63
11 ) フーガ OL 61
12 ) 《この主の信仰者》 OL 33
13 ) 幻想曲 OL 59
14 ) オーボエの音色による幻想曲
15 ) 同音色による幻想曲
16 ) クロモルヌによるフーガ OL 65
17 ) ティエルスによるフーガ OL 64
18 ) 大オルガンのティエルスによる幻想曲(トランブラン・レントによる) OL 58
19 ) 三位一体のための招呼句(Invitatoire) OL 52
20 ) 幻想曲 OL 56
21 ) 幻想曲 OL 69
ルイ・クープラン / ギヨーム=ガブリエル・ニヴェル
22 ) 《天の元后》 OL 50
23 ) 《天の元后》
24 ) 聖体の祝日のための招呼句 OL 53
ミシェル・マズエル (1603-1676)
25 ) アルマンド(組曲第13番より)
ルイ・クープラン
26 ) 《めでたし海の星》 OL 10
27 ) 《祝福された喜びが我らに》 OL 37
28 ) 《祝福された喜びが我らに》 トリオ版 OL 38
29 ) プレリュード OL 46
ジャン・ロンドー
ギヨーム・レスリエ 1631年製作オルガン
(フランス、ボルベック、サン・ミッシェル教会)
【演奏者】
ジャン・ロンドー(チェンバロ、オルガン)
アナイス・ベルトラン(メゾ・ソプラノ)
リュシル・ブーランジェ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
クロティルド・カントー(ソプラノ)
セシル・ダルモン(メゾ・ソプラノ)
マティアス・フェレ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
エルザ・フランク(オーボエ)
ピエール・ガロン(オルガン)
ヴィクトール・フリアン・リンコン・ウルタド(オーボエ)
アンナ・ラチェジ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
レミ・レコルシェ(サックバット)
アドリアン・マビール(コルネット)
ジェレミー・パパセルジョ(ドゥルシアン)
ロバン・ファロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
アドリアン・ルボワソン(オーボエ)
リュシル・リシャルド(メゾ・ソプラノ)
ミリアム・リニョル(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ティボー・ルセル(テオルボ)


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ジャン・ロンドーによるルイ・クープランのパヴァーヌ
ジャン・ロンドーによるルイ・クープランのパヴァーヌ
ジャン・ロンドーのルイ・クープラン全集がリリースされてから、もう何度か聴いているが、これらのCDの中でジャン・ロンドーがこだわっている曲が「パヴァーヌ(G.120)」だ。クラヴサンによる演奏が2種類と、オルガンによる演奏、そしてヴィオール・コンソートによるものの計4種類が収められている。クラヴサン演奏のうち1曲目はRuckers harpsichord from 1624のオリジナル楽器、2曲目はDavid LeyによるJacques Thibaut作のコピー楽器を用いている。当初私は、オルガンによる演奏はト短調に移調して弾いているとばかり思っていたが、どうもそうではないようだ。Notre-Dame de Juvignyのオルガンは、ピッチがどうやら440Hzであり、フレンチ・クラヴサンのピッチより約全音高いことが分かった。そしてロンドーはどうやらホ短調でこの曲を弾いているのだ。それについてはYouTubeの動画で確認できる。このパヴァーヌの原調である嬰ヘ短調という調性は、当時としてはかなり思い切った「響きの悪い」調性である。どうやらNotre-Dame de Juvignyのオルガンは、ミーントーンではなく、当時フランスで用いられていた「ウェル・テンパード」のどれかにより調律されているもののようである。クラヴサンの調律についてもロンドーは「ウェル・テンパード」を採用しているらしく、著しく破綻した和音は見られない。思い出すのはブランディーヌ・ヴェルレー(ロンドーの師匠である)の、この曲の録音である。彼女は、通常のC-G-D-A-E(もしくはその他)のミーントーン(アロンのミーントーン)でこの曲を演奏しているらしく、ウルフが曲中何度も現れる。これはこれで、味のある演奏だと私などは思うのであるが。さて、ロンドーはそれだけでは満足しなかったようで、ヴィオール4重奏にこの曲を弾かせている。いうまでもなくこちらは、非の打ち所のない純正な和音の響きが聴かれる。ロンドーのこだわりが感じられる演奏となっている。 #louiscouperin #jeanrondeau #clavecin #organ #viol


追記:
では、ブランディーヌ・ヴェルレーは、この曲で一体どのような調律を行なっているのだろうか?ここからはすべて私の「憶測」に過ぎないことをまず断っておく。楽譜を見ながら聴いていると分かることは、D#とE#が高いということだろう。メロディラインを聴いていれば、これは誰しもが気付くはずだ。ヴェルレーはおそらくD#を、通常のシャープ系の曲に合わせてHからノービートで調律したのではなく、別の方法で調律したものと考えられる。それがどのような方法であるのかは、私には分からない。で、同様にE#であるが、これはA-C#-E#とノービートで調律したのではなく、やはり別の方法で調律したものと思われる。いずれにしてもこのふたつが高くなるような調律方法であることには、間違いはなかろう。一つの可能性としてはCから下に4分の1コンマ狭い5度(ミーントーンの5度)で取ったのかもしれない。だとするとこのメロディの歪みの説明が、ある程度つく。
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レーマン仮説の崩壊:希望的観測対18世紀の常識
レーマン仮説の崩壊:希望的観測対18世紀の常識
以前、Facebookでブラッドリー・レーマン氏に対し、私はある決定的な疑問をぶつけた。「もしバッハが耳を頼りに意図的に完全な「-1/12コンマ(平均律)」の五度を調律できたのなら、なぜ楽器全体を平均律に調律しなかったのか?」という問いである。それに対する彼の反応は、多くを物語るものであった。理論的あるいは歴史的な裏付けを示す代わりに、彼は単に「自分の調律法の方が平均律よりも単純に響きが良い」と主張しただけだったのだ。
失礼ながら、それは学術的な回答とは言えない。主観的な好みに逃げ込んでいるに過ぎない。それは、聴覚という現実的な問題に直面して追い詰められたとき、彼の数学的な「砂上の楼閣」が崩れ去ることを証明していた。
今日、私は沈黙を破り、レーマン仮説の背後にある希望的観測を完全に暴く反論を提示する。その反論は、二つの致命的な欠陥と、18世紀の職人技という現実に基づいている。
1. 二重の作為:上下逆転とF(ヘ長調)を起点とすること
レーマンの説には、私たちが受け入れざるを得ない二つの露骨な「こじつけ」が含まれているが、エミール・ジョバンの(はるかに誠実な)仮説では、そうした無理な操作は巧みに回避されている。
・なぜレーマンはバッハの図を上下逆さまにする必要があったのか?
・なぜ彼は、五度圏の起点を恣意的にF(ヘ長調)に設定する必要があったのか?
あらかじめ決めておいた結論に数値を合わせるためだけに、歴史的な手稿を文字通り反転させ、その幾何学的な構造を歪めるようなことをすれば、それはもはやバッハの解読ではない。バッハに自分自身のルールを押し付けているに過ぎないのだ。これこそまさに、証拠を都合よく選り好みする「チェリー・ピッキング」の典型と言えるだろう。
2. 18世紀の耳が持つ語彙
歴史的な調律法の変遷を詳細に研究すれば、18世紀の楽器製作家たちが、聴覚に関する特定の「実践的な語彙」に基づいて仕事をしていたことは否定しようのない事実なのだ。それは、彼らの音の世界全体は、広く認知された二つの標準的な「尺度」の上に築かれていたということである。
・中全音律の五度(狭められた五度)
・ピタゴラス音律の五度(純粋な五度)
これこそがバロック時代の「常識」だった。ウェル・テンペラメント(ヴェルクマイスターIIIやキルンベルガーIIIなど)の哲学全体は、単にこれら二つの極めて馴染み深い音程を組み合わせ、避けられない数学的な摩擦(誤差)を扱いやすい領域へと誘導することに尽きていたと言っても過言ではない。(ヴァロッティの「シントニック・コンマの1/6」のような音律は、あくまで稀な例外であり、一般的ではなかった)。
それにもかかわらず、レーマンはバッハの音律の枠組みの中に、全く異質な第三の概念をこっそりと紛れ込ませていたのである。それは「ピタゴラス・コンマの1/12」(これこそまさに現代の平均律における完全五度)であり、彼はある特定の3箇所にそれが密かに隠されているという説明をしている。
バッハが「ピタゴラス・コンマの1/12」という極めて特殊な数値を何気なく用いていたなどと考えるのは、時代錯誤というものだ。それは、バッハが現代のデジタル・チューナーのような思考をしていたと仮定することに他ならない。もしバッハが実際に「ピタゴラス・コンマの1/12」を識別する概念や聴覚能力を持っていたとしたら、彼が即座に音律全体を完全な平均律へと平準化しなかったはずがない、と考えるのが自然ではないだろうか?そうしないと考えることは、彼の天才性に対する侮辱にさえなりかねない。
結論
バッハはあくまでその時代の人間でしかなかった。確かに傑出した天才ではあったが、同時代の楽器製作者たちと音響的な共通言語を共有する、実践的な職人であったのである。彼には、図面を上下逆さまにしたり、現代的な小数の概念を持ち込んだりする必要などなかったはずだ。
レーマンの説は、歴史を覗く窓を装った、現代を映す鏡に過ぎない。それは現代の基準に照らしてバッハを「素晴らしい」存在に見せようと試みているが、その過程で、18世紀の音楽家としての彼が本来持っていた真の卓越性を奪ってしまっているのである。「平均律クラヴィーア曲集」は、上下逆さまの図面といった複雑な数学から生まれたものでは断じてない。それは、中全音律やピタゴラス音律の完全五度といった職人の標準的な道具を使いこなし、さらには宇宙の摩擦さえも純粋な芸術へと昇華させるほどの崇高な聴覚を備えた職人によって生み出されたものなのである。#BradleyLehman #JSBach #WellTemperedClavier #BaroqueTuning #Harpsichord #Musicology #Counterargument #片山俊幸

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ボーイ・ソプラノ
ボーイ・ソプラノ
バッハの声楽曲というものは、ごく少ない例外を除いて、女性ソプラノではなくボーイ・ソプラノのために書かれている。当時、ドイツの教会では女性が歌うことはなかったのである。ソプラノは少年、アルトは少年もしくはカウンター・テノール(バッハでは多少の疑義は残るが)が歌う、と決まっていた。現代では、コンサートでもCD録音でも女性が主流だが、実はこれは間違いなのである。言ってみれば、歌舞伎の女形を女性が演じるようなもので、伝統の破壊と言って差し支えないものである。
バッハ・カンタータ全集は、ヘルムート・リリング、トン・コープマン、ジョン・エリオット・ガーディナー、鈴木雅明などが録音している。私が所有しているのは、グスタフ・レオンハルトとニコラウス・ハルノンクールのCD全集だ。これは、テレフンケンというレーベルで、1970年から1988年の18年にかけて、レオンハルトとハルノンクールが、曲目を分担し合って録音したものである。もともとLPレコードで発売された全集で、全曲楽譜付き(旧バッハ全集)という豪華なものであった。私は、アナログレコード盤は、かろうじて1セットのみ持っているが、当時、私にはお金持ちの友達が二人いて(ふたりともお医者さん)自宅へ行くと棚にこのシリーズが全巻ズラーッと並んでいて、実に羨ましかったものだ。
私の知る限りでは、このシリーズのみが、ソロも合唱もボーイ・ソプラノで録音した唯一のバッハのカンタータ全集である。レオンハルトはテルツ少年合唱団、ハルノンクールはウィーン少年合唱団を起用している。なお、レオンハルトは「マタイ受難曲」も、ボーイソプラノのみで録音しているので必聴である。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001GM7IZG
ボーイ・ソプラノの魅力はその「はかなさ」にあると言える。声変わりまでの、ほんの数年間がその生命なのだ。6~8歳ころから訓練をはじめて、早ければ12~3歳で、突然にその生命は潰える。ハルノンクールもレオンハルトも、したがってなるべく多くの少年ソリストを、それぞれの合唱団から選りすぐり、その声質にふさわしい曲を充てている。一人ひとりに少ない数の曲を与え、集中的に特訓をしたのだろう。録音の本番中に突然、変声期を迎える可能性もある。あしかけ18年に上る録音期間に、だから多数のボーイ・ソプラノが入れ替わっている。「天使の歌声」は、ある日突然、天国に帰ってしまうのである。つまり、ボーイ・ソプラノの録音は「時間との戦い」である。女性をソリストに使っている録音では、このような苦労は全くない。全集をひとりで歌うことだって出来るだろう。
現在、オリジナル楽器で演奏されたバッハカンタータ全集は、このシリーズに加え、トン・コープマン、鈴木雅明、ジョン・エリオット・ガーディナーがあるのだが、真の意味で「オリジナル」演奏と言えるのは、レオンハルト/ハルノンクール盤以外にない。オーケストラの演奏自体は、例えばコープマンのアムステルダム・バロックオーケストラや、鈴木雅明のバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏のほうがはるかに上を行っているだろう。特にハルノンクールのウィーン・コンセントムジクスは、木管楽器奏者の技量においてかなり劣っており、これがまさに「玉に瑕」だと言える。レオンハルト合奏団の方は、フランス・ブリュッヘンを始めとした名人上手が揃っていて、全く非の打ち所はない。しかし、それを差し引いたとしても、ボーイ・ソプラノの起用ということ一つでこのシリーズは、まさに「金字塔」を打ち立てている。
私が言う「ボーイ・ソプラノの儚さ」という表現を理解できない人が多いようだ。当然かも知れない。しかしこれは多くの日本人にとって「自明の理」である。私は後段でこう述べている。「声変わりまでの、ほんの数年間がその生命なのだ。6~8歳ころから訓練をはじめて、早ければ12~3歳で、突然にその生命は潰える。」誤解を恐れずに言うと、これは日本人が桜という花を愛する理由に通じている。桜は一斉に咲き誇るが、ほんの数日で散ってしまう運命にある。それと同じ美しさを私はボーイ・ソプラノの中に見出しているのだ。
また私が「バッハにおけるオリジナル志向」の中で述べているように、私の主張は「ミソジニスト」のそれではない。しかし案の定私を「女性差別者」呼ばわりをする人が後を絶たない。私のたったひとつのポスティングを読んで結論を出さないで欲しい。他の文章も読んでもらいたいものだ。https://www.facebook.com/groups/110859412305172/posts/5120294791361584
またある人はボーイ・ソプラノを「人権」の問題だと言って騒ぐ。つまりバロック時代の少年たちに課せられた「不当な児童労働」だと言うわけである。これについては私は一言で反論ができる。そのような人はウィーン少年合唱団でもテルツ少年合唱団でもいいから団員の一人を捕まえてこう問うてみれば良い「あなたは自由意志で合唱団で歌っているのか、それとも両親に強制されて仕方なく歌っているのか」と。
またこのようなことを言う人も多い。現代はバッハの時代と違って少年の思春期が早まっている。17~18歳まで声変わりをしなかったバッハの時代と現代ではその条件が違う、と。それは一理ある主張に聞こえないこともない。そして彼らは、だから現代では女性のソプラノを起用すべきだ、と結論づけるのである。が、果たしてそうであろうか?私はバッハが描いた通りの演奏でバッハの音楽を聴きたいと思っている。だから教会カンタータでは少年のソプラノを、世俗的なカンタータでは女性のソプラノを聴きたいと思っている。
最後にもう一つだけ言っておかなければならないことがある。女性ソプラノとボーイ・ソプラノの「技術」を比較することは、極めて不公平であり、ナンセンスなことだと考える。なぜなら彼女には有り余る練習時間が与えられており、我々の天使たちにはその時間がないのだ。いつ天に召されるかもしれないからだ。しかし、それらのことを差し引いても、ボーイ・ソプラノの魅力が勝ることがある。例えば私は今、カンタータ第84番を、鈴木雅明とニコラウス・ハルノンクールのCDで聴き比べているところだが、Wilheim Wiedlの歌うハルノンクール盤が、どう見ても私にとってはより魅力的に感じるのだ。もちろん個人的な好みの問題ではあるが。 #boysoprano #treble #片山俊幸
https://excelkobo.net/bachwerke/BachWerke.html
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「レーマン教徒」と異端審問官たちの狂乱
「レーマン教徒」と異端審問官たちの狂乱
<Bach and his Time>
ブラッドリー・レーマン
私は「クォーター・コンマ・ミーン・トーン」のまま、一度も調律を変えずにリサイタルを全編演奏したことがあります。何百人もの他のチェンバロ奏者たちも同様です。
レナード・シック
ブラッドリー・レーマン……それに、チェンバロなら技術的には調律を変えることも可能ですよね。私はミーン・トーンの教会オルガンで数え切れないほどのコンサートを行ってきましたが、それも全く問題なく可能ですから……。
ハルデン・トイ
レナード・シック いやはや、もし異名同音(エンハーモニック)の音を使うことになったとしても、それが何だというのでしょう? 時には、そうした体験が奇妙でありながらも美しい響きをもたらすものです。
ブラッドリー・レーマン
レナード・シック ええ。私は、その楽器で使える音律に合う曲を選んだり(特にオルガンの場合)、あるいはその機会のために選ばれた曲に合う音律を考案したりしています。
チェンバロの音律を変更する作業は手早く行えますし、調律をテーマにしたレクチャー・リサイタルなどでは意図的にそれを行うこともありますが、一般的な演奏会(コンサートや教会での演奏)では、調律のプロセスを聴衆に聞かせるようなことはしません。

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<Early Music Performance Practice>
ローレン・ラドウィグ
#admin 投稿者は、自身の投稿内で名指し(かつ批判)された人物からのコメントに返答すべきです。そうでなければ、責任を負うことなく、ただデタラメを撒き散らしているだけになってしまいます。もちろん、そのようなルールを強制するのは大変なことだとは理解していますし、実際にあなたがそこまで対応してくれるとは期待していません。とはいえ、この投稿者の振る舞いは「トローリング」(特定の個人を標的にして対立を招くような内容を投稿し、その後のスレッドでの反応を無視すること)そのものです。「Early Music Performance Practice(古楽の演奏実践)」の場において、トローリングは許容されているのでしょうか?
ローレン・ラドウィグ
この人物は、この件について延々と騒ぎ立てています。彼は鍵盤楽器の調律法(テンペラメント)に関する数学的・実践的なごく基本的な部分を理解していないため、結局のところレーマン(Lehman)に対する彼の「批判」は支離滅裂なものになっています。まあ、文章は長いんですけどね。
オリヴィエ・B・ブロー
ご意見ありがとうございます。あくまで「意見」ではありますが。あなたは30年以上にわたって歴史的な調律法を扱ってこられたのでしょうか? 不均等な音程(不等分律)が自身の音楽文化の一部となると、それらが不可欠なものになります。つまり、表現の手段としてそれらを用いるようになるのです。平均律自体はルネサンス期から知られていました。リュートやヴィオラ・ダ・ガンバのフレットを数学的な計測に基づいて配置すれば、ほぼ完璧な平均律を得ることも可能です。しかし、その調律法ではすべての長三度が不快なほど不正確に響いてしまうため、2世紀にわたる偉大な音楽家たちは、表現力を高めるために意図的に様々な不等分律を用いてきました。そこでは、多くの純粋な長三度や豊かな半音階技法、そして意図的に残された「制御された不完全さ」が活用されていたのです。レーマンの説はあくまで一つの仮説に過ぎません。私自身、それを全面的に支持しているわけではありませんが、バッハが人生の大半を不等分律で演奏していたことは確かです。当時の教会オルガンは中全音律(ミーン・トーン)で調律されていましたし、彼の室内楽や協奏曲の多くは、特定の調とその近親調に合わせた調律が可能で、それによって「枠にとらわれない表現豊かな」転調や展開が可能になっていました。平均律が実際に調律として確立されたのは1917年のことです。ショパン自身も、調ごとの響きの特性を活かした調律を行っていました。R. ダフィン(R. Duffin)の著書「How Equal Temperament Ruined Harmony And Why You Should Care(平均律はいかにして和声を破壊したか、そしてなぜそれを気にかけるべきか)」を読んでみてください。もちろんタイトルは皮肉を込めたものですが、史料が示す事実は明らかです。バッハは、平均律に極めて近い調律法を採用しないという選択をしていたのです。資料を分析すると、彼は「3度音程がすべて不純(純正ではない)」という調律法には耐えられなかったことがわかります。ぜひ数年間、純正3度(数学的には5/4の比率)だけを使って演奏してみてください。そうすれば、モンテヴェルディからモーツァルトに至る多くの音楽において、純正3度が素晴らしく、かつ不可欠なものであると実感し、それを求めるようになるはずです。その必要性は多くの資料に記されており、実際の経験によっても裏付けられています。平均律についてどう思うかと聞かれれば、ドビュッシー以降の現代のピアノにおいては大好きだと答えます。3本の弦が共鳴するピアノの響きは豊かで、平均律特有の「エッジの効いた」響きには味わいがあります。また、自由な転調が可能になり、無調音楽の演奏にも素晴らしい効果を発揮します。しかし、調性ごとの響きの色合いや、バロック音楽に見られるような純正3度を意図して作曲された音楽に対しては、平均律はひどく鈍重で、不快な響きに聞こえてしまいます。
片山俊幸(非表示もしくは削除)ここをクリック※スクリーンショットを御覧ください。
ブラッドリー・レーマン
こんにちは!繰り返しになりますが、チェンバロの調律は計算ではありません。私たちは楽器の前に座り、可能な限り素早く(10分程度で)、耳を頼りに調律を行います。そうして演奏する音楽に合わせて楽器を整え、残りの時間はすべて音楽そのものに取り組むために使うのです。
バッハは、平均律であれ何であれ、計算を行うための理論書を書いたわけではありません。彼は、あらゆる音階、旋律、和音が美しく響くような音楽の作例を残したのです。楽器を調律し、それらの音楽を演奏する。それは実践的な音楽の作業なのです。
私は20年以上前、『BBCミュージック・マガジン』の特集記事で、この「F音から始める調律法」について解説しました。まず白鍵(自然音)を合わせ、次に黒鍵(変化記号の音)を合わせます。鍵盤の配置に合わせて、5度や4度の音程関係を利用して調律を進めていくのです。 https://bpl.rf.gd/larips/art.html
私の仮説は、筆跡鑑定のようなものでもなければ、特殊なサイズの5度音程をでっち上げるようなものでもありません。そのすべては2022年の記事で説明しました。バッハの鍵盤楽曲をすべて検証し、異名同音に関する証拠を提示するとともに、彼以前や同時代において、どの程度の「テンパリング(純正音程からのズレ)」が一般的だったのかを示したのです。音楽そのものの性質上、採用しうる解決策には「異名同音的な柔軟性」が求められます(したがって、これは「4分の1コンマの完全五度」や「うなりのない長三度」とは無関係な話です)。その記事と概要は、2005年や2006年の記事と併せて、こちらのサイトで4年前から自由に閲覧できるようになっています:
https://bpl.rf.gd/larips/outline.html
Facebookは学術的な議論を行う場ではありません。この件に関する学術的な側面や、その音律(テンペラメント)の実践的な活用については、すでに21年にわたって議論や検証が続けられてきました。しかし、関連文献を読んだことがない(あるいは今後も読むつもりのない)方のために、私は9月12日からFacebookのウォールに要約を投稿しています。(ちょうどその頃、Scalaというソフトを使っている人々が行った計算について、その根拠となる数値がどこから来たのか、不十分な記述を解読しようとしていたのです。)
その投稿の中で、私は耳を頼りに完全五度と長三度を調整する極めて単純な手順――チェンバロで実践可能な手順――を紹介しました。計算は一切不要です。キルンベルガーに対するマルプルクの主張を思い出してください。「君の師であるバッハは、すべての長三度を少し高め(シャープ)に調律する方法を君に示したはずだ……」
記事:Bach’s Art of Temperament (2006) – www.larips.com
BPL.RF.GD
記事:Bach’s Art of Temperament (2006) – www.larips.com
記事:Bach’s Art of Temperament (2006) – www.larips.com
Bradley Lehman PDF
Bradley Lehman PDF
Bradley Lehman PDF
Bradley Lehman PDF
あなたがこのフォーラムや他のFacebookグループで、ジョバン(Jobin)の音律配置に関する分析を何度も投稿してきたことは承知しています。しかし、ジョバンのシステムで調律した場合、バッハの音楽を演奏するとすぐに音楽的な破綻が生じてしまいます。異名同音の処理(エンハーモニック)が必要な箇所で、音程がコンマ(あるいはそれ以上)ずれてしまうからです。私はすでに21年前に、ジョバン(Jobin)やそれと同様の「4分の1コンマ減の五度(quarter-comma fifths)」に基づく調律法がなぜうまくいかないのかを、こちらのページで論証しています。
https://bpl.rf.gd/larips/bachtemps.html
その他の「バッハ」調律法 – www.larips.com
BPL.RF.GD
その他の「バッハ」調律法 – www.larips.com
その他の「バッハ」調律法 – www.larips.com
ブラッドリー・レーマン
この研究に関する「理論的かつ歴史的な裏付け」は、すでに21年前に発表されていますが、その要点を最も的確にまとめたのは、2022年に『BACH』誌に寄稿した記事です。その号は全体が「歴史的奏法(HIP)」の専門家による記事で構成されており、編集部からは「バッハの音楽を演奏する際、どのように調律を決定しているか」について述べるよう求められていました。
長年にわたる考察や検証の経緯は、そこで読むことができます。
ロブ・ターナー
写真を見る限り、トシ(Toshi)さんはトラヴェルソを演奏されるようですね。確かに、平均律に調律された鍵盤楽器と合わせてトラヴェルソを演奏することは可能ですが、バロック時代の管楽器は、通常、不等分律(ミーントーンなど)で演奏した方が最も良い響きが得られますし、音程も合わせやすくなります。そもそもクヴァンツ(Quantz)がフルートに2つ目のキー(レ♯/ミ♭用のキー)を追加したのは、平均律でより正確な音程を出すためではありませんでしたから。









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<Music of the Baroque Period>
トーマス・デント
1. あなたは、音楽的に実用的な調律システムを提案していません。
2. 調律がどのような響きを持つかは極めて重要な点であり、歴史的な文脈で論じることが可能です。
3. ヴェルクマイスターは自身の著作の一つで平均律について論じており、通奏低音に関する論文では、1/5コンマや1/6コンマに近い中全音律の変種について記述しています。
4. ナイドハルトは、オルガン調律の提案(おそらく近似的なものですが)において、1/6コンマや1/12コンマという単位を用いていました……
トーマス・カーティン
平均律は、オクターブの音程しか正確に合わないため、優れたシステムとは言えません。バッハは、他の後期バロック時代の作曲家たちと同様に、何らかの形の「良き調律(ウェル・テンペラメント)」を用いていました。だからこそ「平均律クラヴィーア曲集(The Well-tempered Clavier)」なのです。

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私の最近の投稿「レーマン仮説の崩壊:希望的観測対18世紀の常識」に対する反応は、極めて興味深く、かつ深く憂慮すべき事態を浮き彫りにした。
かつてはあり得ないと思っていたことが、今や白日の下にさらされている。それは、ブラッドリー・レーマン博士と、学術的であるはずのFacebookグループの運営者たちとの間の、露骨な癒着、身内びいき、そして互いに利益を図る馴れ合いである。私たちは今、「レーマン教徒」たちが彼らの「教祖」に対して示す、必死かつ絶対的な隷属を目の当たりにしているのだ。
一部のメンバーは、恥ずかしげもなくモデレーターに対し、この「異分子」(私、Toshiのこと)を排除するよう懇願した。また、あるグループでは、コメント投稿者に対する私の直接の返信が、運営側によって即座に非表示にされ、検閲された。これはもはや単なるネット上の諍いではないのだ。世界の古楽コミュニティにとっての危機なのである。私にはそう思えて仕方がない。つまり、ロシアや中国のような権威主義体制を彷彿とさせる「鉄のカーテン」のような検閲が、今やバロック音楽に関する議論を厳しく監視・統制しているということを意味しているのだ。
そして、最も滑稽な茶番が最後に起こった。これらのフォーラムの歴史において、他人の投稿に「いいね」をすることなど皆無に等しかったブラッドリー・レーマン博士が、突然、私の記事に「いいね」を押したのである。一瞬、彼が深い自己省察に至ったのかと思い、私は自分の目を疑ったものである。
しかし、その幻想は長くは続きはしなかった。すぐに彼をパニックが襲ったのである。彼は必死の反撃を開始し、自身の時代遅れのエッセイのURLやPDFをスレッドに大量に投げ込んできた。彼は、それらと全く同じリンクを以前に幾度となく私に送りつけてきたことを、完全に忘れてしまったのであろうか?そこには新しい要素など何一つない。それは、私が提示した致命的な数学的矛盾のほんの一行にさえ何ら答えていないコメントを伴った、視覚的な「テキストの壁」に過ぎなかったのである。
エピローグ
このアーカイブに記されたすべての事柄――アーロンが示した中全音律の生々しくも身体に訴えかける現実から、ボーイ・ソプラノという音響的必然性に至るまで――は、現代の学術的なドグマ(独断)ではなく、音の物理的かつ歴史的な法則に根ざしている。長年にわたり、まさにこれらの音程に息を吹き込み命を宿してきたフラウト・トラヴェルソ奏者として、私はただ史料に語らせ、耳を傾けてきたに過ぎない。
それにもかかわらず、現代の古楽界における自称「エリート」たちの反応は、完全なパニック状態を露呈するものであった。ブラッドリー・レーマンの調律法が抱える数学的な時代錯誤――バッハの渦巻き模様(スクロール)を上下逆さまにし、現代の700セントの平均律完全五度をバロックの音律体系に無理やり当てはめようとするその手法への疑問――を私が指摘した際、彼やその支持者たちは数字を用いた反論を行なわなかった。彼らはグループの管理人の陰に隠れ、私のコメントを非表示にし、子供じみた癇癪(かんしゃく)を起こしたに過ぎない。彼らの姿は、ウィリアム・ホガースの版画「激怒する音楽家」に描かれた、現実の物理的な振動を遮断しようと必死に耳を塞ぐヴァイオリニストの姿を完璧に映し出している。
バッハの声楽曲が持つ音響的な基盤に触れると、この狂乱はさらに激しさを増したものだ。バッハの教会カンタータが、ボーイ・ソプラノ(トレブル)の持つ繊細で儚い音色を想定して書かれていたという自明の事実を述べたとき、世界最大の「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」グループや様々な「古楽」フォーラムの「エリート」純粋主義者たちは、即座に反発した。彼らは、オリジナルのガット弦や木管楽器のレプリカには偽善的なまでに固執する一方で、バッハにとって最も重要な「本来の楽器」であるボーイ・ソプラノを完全に排除し、現代の女性歌手を好んで採用しながら、なおも自らの録音を「オーセンティック(本物)」と呼んでいるのである。この矛盾を突きつけられると、彼らは歴史的な論理を完全に放棄し、現代の政治的なヒステリーへと逃げ込んだ。私を「女性嫌悪者(ミソジニスト)」と決めつけ、「不当な児童労働」だと喚き立てたのである。
その結果、私がこれら「エリート」を自称するフォーラムから追放されたことは、決して恥ずべきことではないと思っている。それは、私にとって完全な勝利の証なのだ。これは、物理的な共鳴を理解する「耳」を前にしたとき、文献に縛られたドグマの信奉者たちには、検閲以外に何の防衛手段も残されていないことを証明している。
彼らは私のコメントを隠し、プロフィールを凍結することはできるであろう。しかし、音楽の物理法則を書き換えることは決してできないのだ。このページは、そうした衝突を検閲なしに記録したものである。狂信者たちには好きにわめかせておけばいい。真実は指先の下に、そして大気の中に、不変のまま在り続けているのだから。

ウィリアム・ホガース:「ベンチ(法官たち)」(1758年)手元の文献(テキスト)に埋もれ、目の前の生きた現実に対して完全に盲目・聾唖となった教条主義的な権威たちを描いた風刺画の傑作。音の物理的な法則を突きつけられた際、まともな反論もできずに検閲や思考放棄(居眠り)へと逃げ込む、現代の古楽界のエリートやレーマン信奉者たちの姿を完璧に映し出している。